与えられた直線図形に等しい正方形を作ること。
いよいよ、第2巻最後の命題である。第2巻はこれまで、文章だけでは意味が分からない命題ばかりだったが、最後は非常にシンプルな命題で締めくくられる。
とはいえ、この命題にまつわる数学史上のドラマは全くシンプルではない。二千年以上の間、数学者たちは、この命題によく似た問題に悩まされ続けてきた。
そのことにはあとで触れるとして、内容を見ていこう。
与えられた直線図形をΑとする。このとき、直線図形Αに(面積が)等しい正方形を作らねばならない。早速やっていこう。
目標は正方形だが、我々は、直線図形Αに等しい直角平行四辺形を作る方法なら既に知っている。そこで、Αに等しい直角平行四辺形ΒΔを作図する*1。
このとき、もし辺ΒΕが辺ΕΔに等しければ、平行四辺形ΒΔが、求める正方形だ。
もしΒΕとΕΔが等しくないならば、どちらかが大きい。ここではΒΕが大きいとしよう。
ΒΕを延長し*2、ΕΔに等しい線分ΕΖを切り取る*3。そして、ΒΖを点Ηで二等分する*4。
(ΕΔ=ΕΖ、ΒΗ=ΗΖ)
次に、点Ηを中心とし、ΗΒ(またはΗΖ)を半径とする半円を描く*5。そしてΔΕを延長し*6、半円との交点をΘとする。最後に、ΘΗを結んで*7、作図は完了である。
線分ΒΖに注目すると、これは点Ηで二等分され、点Εで不等な部分に分けられている。これは第2巻命題5の状況である。ゆえに、ΒΕ、ΕΖに囲まれた矩形とΕΗ上の正方形との和は、ΗΖ上の正方形に等しい*8。そして、ΕΖはΕΔに等しいので、矩形ΒΕ、ΕΖは、矩形ΒΔである。
さらに、ΗΖはΗΘに等しい(なぜなら円ΒΘΖの半径なので)*9。ゆえに、矩形ΒΔとΗΕ上の正方形の和は、ΗΘ上の正方形に等しい*10(一辺の等しい正方形は互いに等しいことが、無証明に利用されている)。
ところで、角ΗΕΘは直角なので、ΗΘ上の正方形は、ΗΕ、ΕΘ上の正方形の和に等しい*11。ゆえに、矩形ΒΔとΗΕ上の正方形の和は、ΗΕ、ΕΘ上の正方形の和に等しい*12。
双方からΗΕ上の正方形を引けば、残りの矩形ΒΔはΕΘ上の正方形に等しい*13。そして矩形ΒΔは、直線図形Αに等しい。ゆえに直線図形Αも、ΕΘ上に描かれた正方形に等しい*14。
よって、与えられた直線図形Αに等しい正方形、すなわちΕΘ上に描かれうる正方形が作られた。これが作図すべきものであった。
証明の最後の文章が、「描かれうる正方形」などと妙な言い回しになっている。これは参考文献[1]の文章そのままなのだが、『原論』の原文が実際にこういう妙な言い回しになっているらしい(参考文献[3]275頁)。『原論』の挿図にはΕΘ上の正方形が描かれていないため、このように書かれているのだろうと推測されている。
今回の作図では、第1巻の集大成であった命題45が利用されている。「与えられた直線角の中に、与えられた直線図形に等しい平行四辺形を作ること(領域付置)」という命題だ。
与えられた角を直角とすれば、直線図形Αに等しい直角平行四辺形(長方形)を作図することができるのだ。もしこれが、偶然正方形になれば、目的の作図は成されたことになる。が、そうでなければ、この長方形を正方形に変えねばならない。
その過程で、第2巻命題5を利用した。
聞きかじった話であるが、この命題5は古代ギリシャ数学の中で頻繁に利用されるらしい。今回の命題は、その利用例のひとつということだ。
ところで、第1巻命題45を利用するためには、何らかの角が与えられないといけない。今回の場合、先に直角がなければ、直角平行四辺形は作図できないのだ。
ただ、我々は直角を作図する方法も知っている。
『原論』の証明では省略されているが、本来ここには、まず適当な線分ΒΓを描き、その上に直角を描き、その直角内に平行四辺形を作図する、という手順が入るのだろう。
省略といえば、前述の通り、最終的な正方形も省略されている。正方形の作図には、もちろん、第1巻命題46を利用すればよい。
今回の命題は、第1巻の集大成であった命題45(領域付置)が利用されているが、命題47(ピタゴラスの定理)も利用されている。第1巻の二本柱ともいえるような命題が、ともに第2巻の最後の命題に登場しているのだ。なかなか熱い展開ではないだろうか?
冒頭で述べた通り、この命題(に似た問題)は二千年近くの間、数学者たちを悩ませた。
そもそもこの命題は、古代ギリシャ数学において重要な命題だったと考えられているようだ。少なくとも、当時の多くの数学者たちは、等積変形に強い興味を持っていたらしい。
なぜか?
それは、複数の図形の大きさ(面積)を比較するためである。
今回の命題により、あらゆる直線図形は正方形化できることが分かった。従って、どんなに複雑な直線図形同士でも、両者を正方形化して、面積を比較することができるのだ(参考文献[3]110頁)。
そして(これは私の無根拠の想像だが)、このような経緯から、ごく自然に次のような問題が発生したのではないだろうか。
与えられた円に等しい正方形は、作図可能か?
直線図形同士の比較は可能になった。では、円と直線図形を比較したいときは、どうすればよいか? 当然、円を正方形化すればよい、ということになる。
ところが、これが誰にもできなかった。
多くの数学者たちが長い年月をかけて、円を正方形化しようとした。しかし、およそ二千年後の1882年、それは不可能であることが証明された。
そういえば、今回の作図は、現代でも「あること」ができる作図として知られている。それは、平方根の作図だ。
与えられた数をΑとしたとき、ΕΘはΑの正の平方根になっている。ΕΘ上の正方形がΑに等しいことから、これは明らかだ。
さらに現代の我々は、矩形ΒΔを作図することなく、ΕΘを作図できる。面積や線分を、数で表すことができるからだ*15。与えられた数Αに等しい線分ΒΕを描き、その延長上に長さ1の線分ΕΖを付け加える。あとは『原論』と同じ作図をすれば、Αの正の平方根ΕΘが得られる。
ユークリッドも、このことには気付いていただろう。だが、『原論』の中で言及しているかどうか、私は知らない。しているとすれば、第6巻「相似」か第10巻「無理数論」だろう。
ちなみに、第6巻命題13などでは、今回とよく似た図が登場し、ΕΘの性質が論じられる。そこで証明されるのは、
ΒΕ:ΕΘ=ΕΘ:ΕΖ
という比例関係である。このような関係があるとき、"ΕΘはΒΕとΕΖの比例中項である"、と表現する。
アリストテレスは、長方形の正方形化は比例中項を作図することである、と理解していたらしい(参考文献[3]275頁)。ユークリッドも、同様の理解をしていたことだろう。
今回の命題は、比例や相似を使えばもう少し簡単に証明できる。しかし、『原論』でこれらが登場するのは、第5巻と第6巻である。従って、第2巻ではまだこれらを利用できないため、今回のような証明になったのだ。
以上が、『原論』第2巻の内容である。
*1:命題1-45「与えられた直線角の中に、与えられた直線図形に等しい平行四辺形を作ること」
*3:命題1-3「二つの不等な線分が与えられたとき、大きいものから小さいものに等しい線分を切り取ること」
*4:命題1-10「与えられた線分を二等分すること」
*8:命題2-5「もし線分が相等および不等な部分に分けられるならば、不等な部分に囲まれた矩形と二つの区分点の間の線分上の正方形との和は、もとの線分の半分の上の正方形に等しい」
*9:定義1-15「円とは一つの線に囲まれた平面図形で、その図形の内部にある一点からそれへ引かれたすべての線分が互いに等しいものである」
*10:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」
*11:命題1-47「直角三角形において、直角の対辺の上の正方形は直角を挟む二辺の上の正方形の和に等しい」
*12:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」
*13:公理3「等しいものから等しいものが引かれれば、残りは等しい」
*14:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」