ΣΤΟΙΧΕΙΑ -ストイケイア-

ユークリッドの『原論』を少しずつ読んでいくブログです。タイトルは『原論』の原題「ΣΤΟΙΧΕΙΑ」より。

第3巻命題25 与えられた円の切片を含む円の作図

円の切片が与えられたとき、その切片を含む完全な円を描くこと。

 

数学はなんの役に立つのかとよく聞かれるが、この命題はわりと役に立つと思う。

考古学者が遺跡から欠けた銅鏡を発見したとき、あるいは古生物学者が部分的な丸い足跡化石を発見したとき、それが元々どのくらいの大きさだったかが、この命題からわかる。

円は、その一部さえ得られれば、残りの部分を完全に再現できるのである。

現代の中学では、与えられた弧から円の残りの部分を再現する作図を習う。『原論』では弧の代わりに、円の切片が与えられる。どちらにせよ、やり方は同じである。

 

そういえば、久々の作図題でもある。直近の作図題は、命題17「与えられた点から与えられた円に接線を引くこと」であった。

 

ではやっていこう。

ΑΒΓを、円の与えられた切片とする。このとき、この切片ΑΒΓを含む完全な円を描きたい。

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まず、弦ΑΓを点Δで二等分し*1、点Δから弦ΑΓに直角に、線分ΔΒを引く*2。そして、二点ΑΒを結ぼう*3

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さてここで、ちょっと奇妙な場合分けをする。この理由はあとで説明しよう。

角ΑΒΔが角ΒΑΔより、大きい場合、等しい場合、小さい場合の三つに分ける。

 

まず、大きい場合を考える。

角ΑΒΔに等しい角ΒΑΕを作る*4。角ΑΒΔは角ΒΑΔより大きいので、これは切片の外部に出る。

そして、線分ΒΔを点Εまで延長し*5、ΕΓを結ぼう*6。なお、角ΒΑΕも角ΑΒΔも直角より小さいので、二角ΒΑΕΑΒΔの和は二直角より小さい。よって線分ΒΔの延長は線分ΑΕ(の延長)に交わる*7

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(角ΑΒΕと角ΒΑΕが等しい。そうは見えないかもしれないが、目の錯覚である)
すると、三角形ΕΑΒは底角が等しいので、二辺ΕΑΕΒも等しい*8

また、ここで二つの三角形ΑΕΔΓΕΔに注目しよう。

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点Δは線分ΑΓの中点であったから、二辺ΑΔΔΓは等しい。さらに、二角ΑΔΕΓΔΕも、直角なので等しい*9。そして辺ΕΔは共通である。よって、二辺とその間の角が等しいので、二つの三角形ΑΕΔΓΕΔは合同である*10。よって、底辺ΑΕは底辺ΓΕに等しい。

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二線分ΕΑΕΒが等しく、二線分ΑΕΓΕが等しいこともわかったので、二線分ΕΒΓΕも等しい*11。したがって、三線ΑΕΕΒΓΕは互いに等しい。

ゆえに、点Εを中心として、ΑΕΕΒΓΕのひとつを半径として円を描けば、残りの点をも通り、完全な円が描かれるであろう。ゆえに、円の切片が与えられたとき、完全な円が描かれた。

そして、中心Εが切片ΑΒΓの外部にあることから、切片ΑΒΓが半円より小さいことも明らかである(※)。

 

ここまでがひとつ目の場合分けである。

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次は、角ΑΒΔが角ΒΑΔに等しい場合である。この場合、図はこうなる。

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この場合、三角形ΔΒΑは底角が等しいので二等辺三角形であり、二辺ΑΔΒΔは互いに等しい*12。そしてΑΔΓΔにも等しいので、やはり三線ΑΔΒΔΓΔは互いに等しい。よって点Δが円の中心となり、切片ΑΒΓは明らかに半円である。(※)

 

最後は、角ΑΒΔが角ΒΑΔより小さい場合である。こうなる。

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ここで、角ΔΒΑに等しい角を点Α上に描こう。するとその角を構成する線分は、線分ΒΔ上に落ちるはずであり、それは完全な円の中心になるはずである。

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したがって、切片ΑΒΓは明らかに半円より大きい。(※)

以上で、三つの場合分けについて、いずれも完全な円を描けた。

よって、円の切片が与えられたとき、その切片を含む完全な円が描かれた。これが作図すべきものであった。

 


 

この命題の証明には、奇妙な点がある。証明中に下線と※マークを付けた箇所である。すなわち、

 

「命題の主張に含まれない切片と半円の大小関係を、なぜかやたらと気にしている」

 

という点だ。

さらに、場合分けの二つ目と三つ目では、大小関係ばかり気にして、作図の方法やその証明はほとんど述べられていない。完全に目的を見失っていると言って良い。

 

なぜこんな風になっているのか?

その理由は、この場合分けが後世の追記だからだと考えられている。

参考文献[3]によると、多くのアラビア語写本では、この命題は場合分けをしていないそうだ。したがって、ユークリッドが書いた原本も、場合分けをしていなかったと推測される。
(『原論』の伝承についての詳しい説明は省くが、多くの場合、アラビア語版の方が古く、ヨーロッパ系言語(ギリシャ語を除く)の写本の方が新しい。したがって、アラビア語版の方が原本に近い内容だと期待できる)

 

後世の追記である論拠は、それ以外にもある。

ひとつは、挿図の仕方である。ギリシャ語版の写本の多くは、テキストのスペースを一部空けて図を入れている。しかしこの命題では、場合分けの二つ目、三つ目の図は、欄外に描かれていることが多いそうだ。しかも、場合分けひとつ目の図(下図)は、ちゃんとテキスト中に挿入されている。

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このことから、欄外の図は後世の追記であると推測され、したがって場合分けも後世の追記だと考えられるのだ。

 

さらに、使わている用語も異なる。

半円との大小関係を述べる箇所で、「 δηλαδὴ(明らかに)」という単語が使われているが、これは『原論』の他の箇所にはめったに登場しないそうだ。

また、三つ目の場合分けで角ΔΒΑに等しい角を作図するとき、「συστησώμεθα(作図する)」という単語を使っている。これは原形が συνίστημι で、その一人称複数形であるらしい。

古典ギリシャ語は、動詞が「単数/複数」「一人称/二人称/三人称」のすべて格変化を起こす。それに従うと、ここで使われている単語は「我々が作図する」という意味の一人称複数形になるが、『原論』は基本的に、一人称単数または三人称の受動態で書かれている*13

したがって、一人称複数形で書かれたこのセンテンスは『原論』の中で異彩を放っており、「後世の追記と断定してよい」とのことだ(参考文献[3])。

 

 

*1:命題1-10「与えられた線分を二等分すること」

*2:命題1-11「与えられた直線にその上の与えられた点から直角に直線を引くこと」

*3:公準1「任意の点から任意の点へ直線をひくこと」

*4:命題1-23「与えられた直線上にその上の点において与えられた直線角に等しい直線角を作ること」

*5:公準2「有限直線を連続して一直線に延長すること」

*6:公準1「任意の点から任意の点へ直線をひくこと」

*7:公準5「一直線が二直線に交わり同じ側の内角の和を二直角より小さくするならば、この二直線は限りなく延長されると二直角より小さい角のある側において交わること」

*8:命題1-5「二等辺三角形の底辺の上にある角は互いに等しく、等しい辺が延長されるとき、底辺の下の角は互いに等しいであろう」

*9:公準4「すべての直角は互いに等しいこと」

*10:命題1-4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」

*11:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」

*12:命題1-5「二等辺三角形の底辺の上にある角は互いに等しく、等しい辺が延長されるとき、底辺の下の角は互いに等しいであろう」

*13:実は『原論』は、かなりの箇所で三人称の受動態が使わている。例えば当ブログで「円ΑΒΓを描く」と書いてある部分は、原文に忠実に書くなら「円ΑΒΓが描かれる」とせねばならない。