ΣΤΟΙΧΕΙΑ -ストイケイア-

ユークリッドの『原論』を少しずつ読んでいくブログです。タイトルは『原論』の原題「ΣΤΟΙΧΕΙΑ」より。

第3巻命題28 等しい弦が切り取る弧は等しい

等しい円において等しい弦は等しい弧を切り取る、すなわち切り取られた大きい弧は大きい弧に、小さい弧は小さい弧に等しい。

 

前回と前々回は、弧と角についての命題だった。今回と次回は、弧と弦についての命題である。

話の並びも前2回と似ている。前回と前々回は逆の関係だったが、今回と次回も逆の関係にある。つまり、次回は今回の逆である。

 

今回の命題は、後半の文章が分かりにくい。「大きい弧は大きい弧に、小さい弧は小さい弧に等しい」と、まるでトートロジーのようなことを言っている。ここの文意は、下図の通りだ。

等しい二円ΑΒΓ、ΔΕΖにおいて、二線分ΑΒ、ΔΕを等しい弦とする。このとき「大きい弧」とは弧ΑΓΒと弧ΔΖΕ、「小さい弧」とは弧ΑΗΒと弧ΔΘΕのことだ。

弦が円を切り取るとき、弧は「大きい弧」と「小さい弧」の二種類できるが、そのそれぞれが他方の円のそれらと等しい、と述べているのが今回の命題である。命題の後半は、「等しくなるのは大きい弦同士、小さい弦同士であり、大きい弦と小さい弦は等しくならない」と釘を刺しているのだ。

 

では証明しよう。簡単に証明できる。

等しい二円ΑΒΓΔΕΖがあり、弦ΑΒΕΖを等しい弦とする。このとき、これらが切り取る大きい弧ΑΓΒが大きい弧ΔΖΕに等しく、小さい弧ΑΗΒが小さい弧ΔΘΕに等しいことを示そう。

まず、それぞれの円の中心ΚΛを取り*1ΑΚΚΒΔΛΛΕを結ぶ*2

ここで、二つの三角形ΑΚΒΕΛΖに注目する。等しい弦を取ったので、辺ΑΒは辺ΕΖに等しい。そして、二円は等しいので、半径も等しい*3。したがって、二辺ΑΚΚΒは、二辺ΔΛΛΕに等しい。

ゆえに、三角形ΑΚΒΔΛΕは三辺が等しいので、角ΑΚΒは角ΔΛΕに等しい*4。よって、中心角が等しいので、それが立つ弧ΑΗΒΔΘΕは等しい*5。また円ΑΒΓ全体も円ΔΕΖ全体に等しいので、残りの弧ΑΓΒΔΖΕも等しい*6

よって、等しい円において等しい弦は等しい弧を切り取る、すなわち切り取られた大きい弧は大きい弧に、小さい弧は小さい弧に等しい。これが証明すべきことであった。

 


 

証明自体は難しくない。円の中心を頂点とする合同な三角形ができるので、中心角が等しいことがわかり、前々回の命題III.26から弧が等しいことが言える。

冒頭でも述べたが、前回前々回が角と弧についての話で、今回と次回が弦と弧についての話である。本の作り方として、読みやすく合理的な順番だ。『原論』にはこのような順番の命題がたくさんある。

一方、「これまでに証明した命題のみを使って次の命題を証明する」というルールからすると、このようにわかりやすい順番に並べるのは相当大変だったはずである。しかも今回は、証明に前々回の命題を使っているので、この順番でなければならない。このような制限の中でわかりやすい順番にしたユークリッドの苦労は想像するだに怖ろしい。

 


 

前回、前々回の命題は、証明こそ二つの円で行われたが、実際の使用場面ではひとつの円で使われることが多かったらしい。

今回の命題も、そうであるかは知らないが、内容自体はひとつの円でも成立する。

実際、現代の高校生なら、ひとつの円で活用することの方が多いだろう。

 


 

参考文献[3]によれば、この命題のギリシャ語はこうなっている。

᾿Εν τοῖς ἴσοις κύκλοις αἱ ἴσαι εὐθεῖαι ἴσας περιφερείας ἀφαιροῦσι τὴν μὲν μείζονα τῇ μείζονι τὴν δὲ ἐλάττονα τῇ ἐλάττονι.

 

今回も意味のまとまりごとに訳してみると、こうなるだろうか。

「弦」と訳されている箇所は、元の文ではεὐθεῖα「直線」の複数形が使われている。また、円弧と訳した箇所はπεριφερεία「円」の複数形だ。直線と弦、円と円弧などは、概念としては分かれていても、単語としては同じものを使っていたようである。

動詞は、ἀφαιρέω「切り取る」の3人称/複数/現在/直説法/能動態だ。数学の文章なので、英語と同様に、基本的には現在形を使う。

ἀφαιρέωは、辞書を引くと「[属格or与格]から[対格]を切り取る」と説明されている。しかしこの文章には、「〜から」に該当する単語がない。円から切り取ることがわかりきっているので、省略しているのかもしれない。文章の後半に与格の単語があるが、これは文意からして、この動詞の目的語ではないだろう。

で、その後半であるが、文法的構造がちょっとよくわからない。「どのように切るか」を説明していると思われるが、そう言える文法的根拠がよくわからない。構造としては、接続詞と名詞が並んでいるだけである。もう少し詳しく書くと、こうだ。

μέν... δέ...が「一方で〜、他方では〜」という意味の接続詞である。教科書では対比の接続詞と説明されていたので、てっきり逆接だけに使うものと思い込んでいたが、ここではそのようには使われていない。

よく似た単語が繰り返し出ているが、これらはμέγας「大きい」とἐλαχύς「小さい」の比較級を、女性/単数/対格または与格に変化させたものである。そこに、定冠詞であるτήν, τῇをつけて名詞化している。したがって、「より大きいもの」といった訳になる。

何に対して「より大きい」のかと言えば、「もう一方の弧」であるのだが、そこの説明は特にない。それ以前に、ここで指している「大きいもの」が弧であることの説明もない。

まぁ、それは当然で、そこの説明は定冠詞τήν, τῇに集約されているのだろう。τήνのひと単語で、「切り取られた弧のうち(より大きい)もの」を説明しているのだ。

 

 

*1:命題3-1「与えられた円の中心を見出すこと」

*2:公準1「任意の点から任意の点へ直線をひくこと」

*3:定義3-1「等しい二円とは、その直径が等しいかまたはその半径が等しいものである」

*4:命題1-8「もし二つの三角形において二辺が二辺にそれぞれ等しく、底辺も底辺に等しければ、等しい辺に挟まれた角もまた等しいであろう」

*5:命題3-26「等しい円において等しい角は、中心角も円周角も、等しい弧の上に立つ」

*6:公理3「等しいものから等しいものが引かれれば、残りは等しい」