もし直線が円に接し、中心から接点に線分が結ばれるならば、結ばれた線分は接線に垂直であろう。
前々回の命題16で、円の直径の端から垂線を引くと、円の接線になることが示された。今回は逆に、接点から円の中心に線分を引くと、接線に垂直になることを示す。
いきなり話がそれるが、この命題では「半径」と言わずに「中心からの線分」という表現が使われている。実は『原論』には、半径という単語は出てこないらしい。理由は(私は)知らない。
もっとも、この命題に関していえば、半径という単語は適切ではない。「接線と半径は垂直」という言い方では、「すべての半径が接線と垂直」という意味になってしまうからだ(記事のタイトルはわかりやすさを優先した)。半径ではなく、「中心と接点を結んだ線分」が接線と垂直になる、と正しく言わねばならない。
では、命題の証明に入ろう。
円ΑΒΓ上の一点Γにおいて、直線ΔΕが接しているとする。このとき、円ΑΒΓの中心を取り*1、ΖとΓを結んだとすると*2、直線ΖΓは直線ΔΕに垂直になる。これを証明する。
証明には、背理法を用いる。
もし垂直でないならば、点Ζから直線ΔΕに垂線ΖΗを引く*3。
(ΖΗ⊥ΕΔ)
ここで三角形ΖΓΗに注目すると、角ΖΗΓが直角であるから、角ΖΓΗは鋭角である*4。そして三角形において、大きい角には大きい辺が対するので*5、辺ΖΓは辺ΖΗより大きい。
ところが、直線ΖΓは直線ΖΒに等しい*6。ゆえに直線ΖΒは直線ΖΗより大きいことになり、小さいものが大きいものより大きくなってしまう。これは不可能である。したがって、直線ΖΗは直線ΔΗに垂直ではない。
同様にして、直線ΖΓ以外のいかなる直線も垂直でないことを証明しうる。ゆえに、直線ΖΓは直線ΔΕに垂直である。
よって、もし直線が円に接し、中心から接点に線分が結ばれるならば、結ばれた線分は接線に垂直であろう。これが証明すべきことであった。
シンプルな証明である。
もし接線と半径が垂直でないならば、半径以外の直線が接線と垂直である。しかしそのような直線は、円の半径より大きいにも関わらず、三角形の性質から円の半径より小さくなくてはいけない。このようなことはありえないので、半径以外の接線は垂直ではない。よって半径のみが垂直である。
ただし、ここに少し論理の飛躍がある。
「半径以外の接線は垂直ではない」からといって、「半径が垂直」とは限らない。半径も垂直ではないかもしれないからだ。
しかし、第1巻命題12によれば、どのような直線にも垂線を引くことができる。したがって、少なくとも一本は垂線があるはずであり、半径以外はそうではないので、半径が垂直となる、と読むこともできる。
「読むこともできる」などと書いたのは、私のこの説明にちょっと注意が必要だからだ。
第1巻の前半に登場する作図題たちは、長い間、作図法というより「存在証明」と解釈されていた。
第1巻命題1(正三角形の作図)は正三角形の存在を証明する命題であるし、第1巻命題10(線分の中点の作図)は線分の中点の存在を証明する命題である、という解釈だ。
この解釈は、『原論』を研究したことで知られるギリシャのプロクロス(紀元後412年~485年)が既に提唱していた。
しかし1983年、クノールによって否定された。
有名な古代ギリシャの三大作図問題*7では、「どうすれば作図できるか」だけが問題になっており、「そもそもその図形は存在するのか」は問題となっていない。このことから、当時の数学者たちは数学的対象の存在について、関心を抱いていなかったと考えられるのだ。
したがってユークリッドも、「直線には必ず垂線が存在する(直線上にない点から、直線に垂線を下すことは常に可能)」と、ある種素朴に考えていたに違いない。
だから、半径以外の直線が垂直でないならば、半径が必ず垂直になると言えたのだ。
*1:命題3-1「与えられた円の中心を見出すこと」
*3:命題1-12「与えられた無限直線にその上にない与えられた点から垂線を下ろすこと」
*4:命題1-17「すべての三角形において、どの二角をとってもその和は二直角より小さい」
*5:命題1-19「すべての三角形において、大きい角には大きい辺が対する」
*6:定義1-15「円とは一つの線に囲まれた平面図形で、その図形の内部にある一点からそれへ引かれたすべての線分が互いに等しいものである」
*7:角の三等分線の作図、与えられた円に等しい正方形の作図(円積問題)、与えられた立体の二倍に等しい立体の作図(倍積問題)。いずれも不可能であることが証明された。