与えられた弧を2等分すること。
前回までは2円間の弦や弧の話をしてきたが、ここから再び1つの円の話に戻る。
下図のように、円弧ΑΔΒが与えられたとき、これを二等分する作図である。
点の名付け方が、いつもとちょっと違う。
『原論』では、図中の点や線の名前は、本文に登場する順番に名付けられていることが多い。が、この命題はその例外である。アルファベット順なら、第三の点はΓとなるはずだからだ。
(なお、各点の名前は参考文献[1]に書かれている通りに書いている)
余談はおいといて、作図と証明に移ろう。直感的に思いつく方法で、そのまま証明できる。
二点Α、Βを結び*1、その二等分点をΓとする*2。そして、点Γから弦ΑΒに直角にΓΔを引き*3、ΑΔ、ΔΒを結ぼう*4。
このとき、弧ΑΒは点Δにおいて二等分されている。証明しよう。
二つの三角形ΑΓΔ、ΒΓΔに注目する。
点Γは弦ΑΒの二等分点なので、辺ΑΓは辺ΒΓに等しい。また辺ΓΔは共通である。そして、角ΔΓΑは角ΔΓΒに等しい*5。よって、二辺とその間の角が等しいので、三角形ΑΓΔ、ΒΓΔは合同であり、辺ΑΔは辺ΒΔに等しい*6。
ところで、等しい弦は等しい弧を切り取るのだった*7(これは2円間で証明した命題だが、ここでは1つの円内で利用している)。
そして、切り取られた弧のうち、大きい弧は大きい弧に、小さい弧は小さい弧に等しいのだった。今回切り取った二つの弧ΑΔ、ΒΔはともに半円より小さい、つまり小さい弧なので、弧ΑΔ、ΒΔは互いに等しい。
よって、与えられた弧は点Δによって二等分された。これが作図すべきものであった。
直感的にも、「まぁそうだろうな」と思える作図方法、証明方法である。
証明の最後に、小さい弧がどうこうと言っている。これは、今回利用した命題III.28が、次のように書かれていたためだ。
等しい円において等しい弦は等しい弧を切り取る、すなわち切り取られた大きい弧は大きい弧に、小さい弧は小さい弧に等しい。
弦が円から弧を切り取ると、大きい弧と小さい弧ができる。当然、大きい弧と小さい弧は等しくない。等しくなるのは、大きい弧同士、小さい弧同士だ。命題III.28は、後半でそのことを明示しているのだ。
今回の証明では命題III.28を利用したが、利用の際には、同じ側の弧を比較していることを確かめた方がよいわけだ。
まぁそれはその通りで、うっかりすると、合同な三角形で対応していない辺同士を等しいと見てしまうような凡ミスをしかねない。学校の試験のときなどは(ユークリッドの時代にそんなものがあったとしたら)、学生は注意した方がよい。
同じ側の弧かどうかを確かめる方法のひとつは、その弧が半円より大きいかどうかを調べることである。円を弦で切ったとき、大きい弧は必ず半円より大きく、小さい弧は必ず半円より小さい(弦が直径の場合のみ、どちらも半円に等しい)。だから今回の証明では、切り取った円弧が半円より小さいことを述べていたわけだ。
ちなみに、上掲の記事で「これは2つの円についての命題だが、実際の使用場面では1つの円に対して使われることが多いらしい」といった旨のことを書いているが、今回の命題がまさにその具体例である。
証明の最後の方で、二つの弧はどちらも半円より小さいとしているが、半円より小さい理由は特に説明されていない。
一応、こんな風に証明できるだろうか。
分かりやすくするために、半円よりも大きな円弧を描く。
命題III.1系より、弦の垂直二等分線は必ず円の中心を通る。したがって、この円の中心は直線ΔΓ上にあり、線分ΔΓは直径の一部である。
そして、第1巻の定義17より、円の直径は円を2等分する。ゆえに二つの円弧ΑΔ、ΔΒは、少なくとも円の2等分よりは小さい。これが証明すべきことであった。
ここ、ちょっと面白い。「円の直径は円を2等分する」というのは証明すべき定理のように思えるのだが、『原論』では定義として扱っている。参考文献[3]には、このことについて次のように書かれている。
参考文献[3]P.183
なお定義の後半の「径が円を2等分する」という性質は、定義ではなく証明すべき命題である。これが定義に含まれているのは、次の定義18の「半円」の定義のために必要だと感じられたからであろう。しかしこれは後の注釈者による挿入かもしれない。
次の「半円」の定義とは、以下の通りである。
第1巻定義18
半円とは直径とそれによって切り取られた弧とによってかこまれた図形である。
直径が円を二等分してくれないと、半円が円の半分にならないのだ。
このことについて過去の私が何か書いていないかと「第1巻 定義」の記事を読み返したが、全く言及していなかった。気付かなかったのだろう。
参考文献[4]における、今回の命題の原文は以下の通りである。
Τὴν δοθεῖσαν περιφέρειαν δίχα τεμεῖν.
当然ながら、とても短い。意味のまとまりごとに訳してみるとこうなる。
最後のτεμεῖνは、τέμνω「分ける」の未来不定詞能動態である。不定詞なので、元は動詞だが、名詞的に扱う。
2単語目のδοθεῖσανは、δίδωμι「与える」のアオリスト分詞である。古典ギリシャ語の分詞には様々な用法があるが、ここでは形容詞的に使われている。
問題設定として用意されたものを、日本語では「与えられた」と表現するが、古典ギリシャ語でも同じらしい。というより、古典ギリシャ語でこう表現していたのが、巡り巡って日本語の表現としても定着したのだろう。たぶん。知らんけど。
(もしそうだとすると、この表現が定着したのは明治以降で、江戸時代の和算などにはこの表現は登場しないことになる。そうなのだろうか?)
日本語の「与えられた」は過去形なのか受動態なのかわかりにくいが、古典ギリシャ語でははっきりとする。アオリストの受動態だ。アオリストというのは時制の一種で、過去の出来事を指すが、分詞のときは過去とは限らない。時間軸上のある一点で起こる完結した出来事を指すのに使う。
つまり、アオリストの受動態ということは、ある時ある瞬間に、ポンと円弧を受け取ったということだ。何度も受け取ったり、受け取り続けているわけではない。特に、未来不定詞で書かれたτεμεῖνが起こるときには既に完結していることを意味している。円弧を受け取ってから二つに分けるというわけだ。なお、誰から受け取るのかは、言及されていない。
当然ながら、作図題に頻出する単語と考えられる。例えば第1巻命題1の原文は次の通りだ。
第1巻命題1
「与えられた線分の上に正三角形を作ること」
᾿Επὶ τῆς δοθείσης εὐθείας πεπερασμένης τρίγωνον ἰσόπλευρον συστήσασθαι.
δοθείσηςは、δίδωμιのアオリスト分詞の女性/単数/属格/受動態である。これが、εὐθείας「直線」を修飾している。つまり、「与えられた線分」の意味になる。
最後に、4単語目の「二つに」と訳したδίχαだが、これには「等分」のニュアンスはあるのだろうか。δίχαを古希-英辞書で引くと、「in two, apart」などと書かれている。さらに英和辞書を引くと、in twoは「二つに、半々に」と書かれているので、ちゃんと等分のニュアンスがありそうだ。