鈍角三角形において、鈍角の対辺の上の正方形は、鈍角を挟む二辺の上の正方形の和より、鈍角を挟む辺の一つと、この辺へと垂線が下ろされ、この鈍角への垂線によって外部に切り取られた線分とに囲まれた矩形の二倍だけ大きい。
タイトルはわかりやすく余弦定理とした。現代なら高校で習う、三角比の基本的な定理の一つである。文章で書かれるとわかりにくいが、よく読むと確かに余弦定理のことであるとわかる。
なお、ユークリッドの時代には、まだ三角比の概念はなかった。似たような概念はあったが、その概念とこの命題が結び付けられていたかどうか、私は知らない。
ちなみにその「似たような概念」とは、円の中心角と弦の関係である。現代の三角関数に非常に近い概念ではあるが、微妙に異なる。また、三角関数表に相当するものも、当時はまだなかった(中心角と弦の表ができるのは、ユークリッドの時代から二百年ほどあとだ)。
ユークリッドは、もしかしたら、この命題は「ピタゴラスの定理の拡張」ととらえていたかもしれない。ピタゴラスの定理は直角三角形にのみ適用されるが、それを鈍角にすると今回の定理になる。
前置きはここまでにして、命題を見ていこう。第2巻のここまでの命題と異なり、今回は線分ではなく、鈍角三角形から話が始まる。
角Αを鈍角とする三角形ΑΒΓがあるとする。そして、点Βから辺ΓΑ(の延長)に垂線ΒΔが引かれたとする*1*2。
このとき、ΒΓ上の正方形は、鈍角を挟む二辺ΒΑ、ΑΓ上の正方形の和より、ΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍だけ大きい、と主張している。
証明しよう。
まず、線分ΔΓに注目しよう。線分ΔΓは、点Αで任意に二分されている。これは第2巻命題4の状況である。つまり、ΔΓ上の正方形は、ΔΑ、ΑΓ上の正方形と、ΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍との和に等しい*3。
双方に、ΒΔ上の正方形を加えよう。すると、ΒΔ、ΔΓ上の正方形の和は、ΒΔ、ΔΑ、ΑΓ上の正方形とΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍との和に等しい*4。
ところで、角ΒΔΓは直角なので、ΒΔ、ΔΓ上の正方形の和は、ΒΓ上の正方形に等しい*5。すなわち、ΒΓ上の正方形は、ΒΔ、ΔΑ、ΑΓ上の正方形とΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍との和に等しい。
さらに、三角形ΑΒΔに注目すると、ΑΒ上の正方形は、ΒΔ、ΔΑ上の正方形の和に等しい*6。
ゆえに、ΒΓ上の正方形は、ΒΑ、ΑΓ上の正方形とΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍との和に等しい。言い換えれば、ΒΓ上の正方形は、ΒΑ、ΑΓ上の正方形の和より、ΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形の二倍だけ大きい。
よって、鈍角三角形において、鈍角の対辺の上の正方形は、鈍角を挟む二辺の上の正方形の和より、鈍角を挟む辺の一つと、この辺へと垂線が下ろされ、この鈍角への垂線によって外部に切り取られた線分とに囲まれた矩形の二倍だけ大きい。これが証明すべきことであった。
文章で書かれると非常にややこしい証明だ。うまい図や数式で書けば、まだわかるだろうか?
図は上掲のものを参照していただくとして(わかりやすいとは言い難いかもしれないが)、数式で書くと以下の通りだ。最後の図を再掲するので、見比べながら読んでほしい。なお、ΑΒ上の正方形のことをq(ΑΒ)、矩形ΑΒ、ΒΓのことをr(ΑΒ、ΒΓ)と書く。
第2巻命題4より、
q(ΔΓ)=q(ΔΑ)+q(ΑΓ)+2r(ΔΑ、ΑΓ)
両辺にq(ΒΔ)を加えて、
q(ΒΔ)+q(ΔΓ)=q(ΒΔ)+q(ΔΑ)+q(ΑΓ)+2r(ΔΑ、ΑΓ) ―①
ここでピタゴラスの定理より、
q(ΒΔ)+q(ΔΓ)=q(ΒΓ)
q(ΒΔ)+q(ΔΑ)=q(ΑΒ)
なので、①に代入して、
q(ΒΓ)=q(ΑΒ)+q(ΑΓ)+2r(ΔΑ、ΑΓ) ―②
これが証明すべきことであった。
②式は、見慣れた余弦定理の式と同じ形をしているのがわかるだろう。実際、辺ΓΒをα、ΒΑをγ、ΑΓをβと書くと、これは余弦定理
α = β+γ+2β (-γ cosA)
となる。ΔΑ、ΑΓに囲まれた矩形が、β(-γ cosA)で表されるのだ。ここにマイナスがついているのは、角Αが鈍角だからである。
ところで、余弦定理において角を直角にするとピタゴラスの定理になるが、今回の命題も直角三角形に無理やり当てはめると、ちゃんとピタゴラスの定理になる。角Αが直角だと、ΔΑ、ΑΓに囲まれる矩形が潰れて消えるので、q(ΒΓ) が q(ΑΒ)+q(ΑΓ) に等しくなるのだ。
現代の高校では、余弦定理の証明は、どう教わるのだろう。高校生向けのWebサイトなどで少し調べたところ、どうやら本質的には今回と同じ証明をしているようだ。せっかくなので、現代の高校生向けに、少し『原論』風にアレンジした余弦定理(鈍角)の証明を書いておこう。
角Αを鈍角とする鈍角三角形ΑΒΓにおいて、Αの対辺をα、Βの対辺をβ、Γの対辺をγとする。そしてΑΓの延長上にΒから下ろした垂線の足をΔとする。
このとき、
ΒΔ=γ sinΑ
ΑΔ=γ (-cosΑ)
となる。cosの前にマイナスがつくのは、cosΑが負の数になるので、それを正の数にするためだ。
ここで左側の三角形ΒΔΑに注目すると、角Δが直角なので、ピタゴラスの定理より、以下が成立する。
γ=(γ sinΑ) + (γ (-cosΑ)) ―①
さらに、三角形ΒΔΓに注目すると、以下が成立する。
α=(γ sinΑ) + (γ (-cosΑ) + β) ―②
これの右辺を展開すると、
α=(γ sinΑ) + (γ (-cosΑ)) - 2βγ cosΑ + β ―③
ここで①を代入すると、
α=γ - 2βγ cosΑ + β
となる。これが証明すべきことであった。
ここではわざわざピタゴラスの定理を利用しているが、①は有名な三角比の公式
sinA + cosA = 1
を利用したに過ぎない(もっとも、これはピタゴラスの定理から証明されるのだが)。『原論』の証明で、ΒΔ、ΔΑ上の正方形がΑΒ上の正方形に等しい、と言っていたのは、この公式のことを言っていたのだ。
また、②から③への変形が、第2巻命題4の操作に相当する。(γ (-cosΑ) + β)を展開する部分である。
高校のとき、私が余弦定理をどう理解していたか、覚えていない。もしかしたら理解していなかったかもしれない。ただ、少なくとも、2bc cosA の部分を矩形(長方形)が二個あるとは考えていなかったと思う。
bc cosA を、b (c cosA) と捕えていた覚えはあるので、c cosA がどこかの長さを表しているという認識はあったものと思われる。しかし、なぜこの前に2がつくのかという点について、図形的な説明は知らなかった。
三角比を知る現代の我々にとって、余弦定理は重要な定理である。従ってこの命題も、なるほど重要なものだなと思える。
しかし冒頭で述べた通り、『原論』が書かれた当時は三角比の概念はなかった。当時の人々にとっても、これは重要な命題だったのだろうか?
ここからは根拠のない私の妄想だが、もしかしたら、こういうことだったのかもしれない。
この命題そのものは重要でなくとも、この命題を少し変更した、鈍角二等辺三角形の性質は重要だった可能性がある。
ΑΒとΑΓが互いに等しければ、点Αを中心、ΑΓ、ΑΒを半径とする円を描ける。そして中心角Αが鈍角のとき、弦ΒΓがどのような大きさになるか、知る必要があったのかもしれない。
冒頭で述べた通り、当時は三角比の概念はなかったが、それに近い、中心角と弦の関係に注目する考えはあったらしい。その条件下では、この命題は大いに役立ったはずだ。