もし線分が任意に二分されるならば、全体の上の正方形と一つの部分の上の正方形との和は、全体の線分とこの部分とに囲まれた矩形の二倍と残りの部分の上の正方形との和に等しい。
相変わらず、何を言っているのかよくわからない。図で確認しよう。
いつものように、線分ΑΒを点Γで任意に二分する。このとき、全体ΑΒの上の正方形と、一つの部分ΓΒの上の正方形との和は、二線分ΑΒ、ΓΒに囲まれた矩形の二倍と、ΑΓ上の正方形との和に等しいと主張している。
では早速証明しよう。これまで通り、まずは図を描く。
まず線分ΑΒ上に正方形ΑΔΕΒを描き*1、以下のように作図がなされたとする*2*3(この文章は私が説明を省略しているのではなく、『原論』でこう書かれているのである)。
すると、補形ΑΗは補形ΗΕに等しいので*4、双方に正方形ΓΖを加えれば、矩形ΑΖ全体は、矩形ΓΕ全体に等しい*5。ゆえに、矩形ΑΖと矩形ΓΕの和は、矩形ΑΖの二倍である。
ところがこの和は、グノーモーンΚΛΜと正方形ΓΖとの和である。ゆえにグノーモーンΚΛΜと正方形ΓΖとの和は、矩形ΑΖの二倍である*6。
双方に、正方形ΗΔを加える(これは線分ΑΓ上の正方形である*7*8)。すると、グノーモーンΚΛΜと二つの正方形ΒΗ、ΗΔとの和は、二線分ΑΒ、ΒΓに囲まれた矩形の二倍と、ΑΓ上の正方形との和に等しい*9。ところが、グノーモーンΚΛΜと二つの正方形ΒΗ、ΗΔとの和は、正方形ΑΔΕΒ全体と、正方形ΓΖとの和に等しい。しかもこれらは、二線分ΑΒ、ΒΓ上の正方形である。したがって、二線分ΑΒ、ΒΓ上の正方形の和は、二線分ΑΒ、ΒΓに囲まれた矩形の二倍と、ΑΓ上の正方形との和に等しい。
よってもし線分が任意に二分されるならば、全体の上の正方形と一つの部分の上の正方形との和は、全体の線分とこの部分とに囲まれた矩形の二倍と残りの部分の上の正方形との和に等しい。これが証明すべきことであった。
要は、二つの矩形ΑΖとΓΕを足すと、重なっているΓΖの部分がダブるよね、という話である。
ところで今回描いた図は、命題4で描いたものと全く同じである(点の名前は異なるが)。
主張の内容も似ている。命題4では、ΑΒ上の正方形が、四つの四角形の和になると主張していた。
今回の命題7では、ΑΒ上の正方形と、ΓΒ上の正方形の和が、三つの四角形の和になることを主張した。
どちらも、出てくる四角形は合計五個である。命題4では、それを一個と四個に分け、命題7では二個と三個に分けている。ΓΒ上の正方形が、(現代の言葉で言えば)左辺にあるか右辺にあるかが、最大の違いである。
幾何学的代数学の立場では、命題7は、命題4と完全に対を成す命題だと解釈される。ΑΒをa、ΒΓをbと置いてみよう。
このように文字を置くと、命題7は以下のように表される。
a + b = 2ab + (a - b)
この式を変形すると、
(a - b) = a - 2ab + b
が得られる。命題4で得られた式と対を成す、有名な展開の公式である。
しかし、もしユークリッドがこの対応を意識していたのなら(つまり幾何学的代数学の立場を採っていたのなら)、命題7は命題4の次に来なければおかしい。この二つが離して置かれていることからも、ユークリッドにはこれが代数学だという認識が薄かったことが推測される。
だが、幾何学的代数学でなかったとしても、全く同じ図である命題4と7を離して置いたのは、なぜだろうか。この理由は、ユークリッド自身は、命題7と次の命題8を対応させたかったからではないか、と考えられているようだ。
命題8では、今回の図を二重に描く。そして今回登場した「重なっている部分がダブるよね」という考え方が、また使われる。*10ユークリッド的には、こちらの対応の方が重要だったようだ。
*1:命題1-46「与えられた線分上に正方形を描くこと」
*3:命題1-31「与えられた点を通り、与えられた直線に平行線を引くこと」
*4:命題1-43「すべての平行四辺形において、対角線をはさむ二つの平行四辺形の補形は互いに等しい」
*5:公理2「等しいものに等しいものが加えられれば、全体は等しい」
*6:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」
*7:命題1-34「平行四辺形において、対辺および対角は互いに等しく、対角線はこれを二等分する」
*8:命題2-4系「正方形において、対角線を挟む平行四辺形は正方形である」
*9:公理2「等しいものに等しいものが加えられれば、全体は等しい」
*10:(2018/04/09追記)と思ったのだが、よく読み返したらそうでもなかった。