等しい線分上にある、円の相似な切片は互いに等しい。
前回は、同じ線分上では相似で不等な円の切片は作れないこと――つまり、同じ線分上の相似な切片は等しいことを示した。
今回は、別の線分でも、等しい線分であれば、相似な切片は等しいことを示す。
等しい二線分ΑΒ、ΓΔの上に、円の相似な切片ΑΕΒ、ΓΖΔがそれぞれあるとする。このとき、切片ΑΕΒは切片ΓΖΔに等しいことを示す。
(ΑΒ=ΓΔ)
久々に図形の移動を行う。
切片ΑΕΒが切片ΓΖΔの上に動かされ、点Αが点Γの上に、線分ΑΒが線分ΓΔの上に置かれたとする*1。このとき、線分ΑΓは線分ΓΔに等しいから、点Βも点Δの上に重なるであろう*2。
このとき、切片ΑΕΒも、切片ΓΖΔに重なるであろう。このことは背理法で示せる。
もし重ならないなら、切片ΑΕΒは、切片ΓΖΔの内部に落ちるか、外部に落ちるか、交わるかのいずれかである。が、命題23より内部または外部に落ちることはありえない*3。また、下図の切片ΓΗΔのようにずれることもありえない。なぜなら、円が円と二つより多くの点Γ、Η、Δで交わってしまうからである*4。
したがって、線分ΑΒが線分ΓΔに重ねられるとき、切片ΑΕΒが切片ΓΖΔの上に重ならないことはない。ゆえに重なり、等しいであろう*5。
よって、等しい線分上にある、円の相似な切片は互いに等しい。これが証明すべきことであった。
なんだか回りくどい証明な気がする。
終盤、ΑΕΒがΓΖΔに重なることは、「命題3.23より、同じ線分の上に相似で不等な二つの切片は作られ得ないから、重なる」ではダメだったのだろうか?(わざわざ命題3.10を持ち出す必要があったのだろうか?)
参考文献[1]も[3]もこの点には言及していないが、参考文献[2]には
上記の文は、背理法によらなくても命題3-23(同じ線分の同じ側の相似な切片は唯一)により、証明が成立するので必要ない。
とある(「上記の文」が私がいま言及している文のことだ)。私も同じ意見だ。にもかかわらず、なぜこんな証明の仕方になっているのかは、よくわからない。
また、要不要の議論ではないが、参考文献[3]には
内部または外部に落ちる場合はIII.23によって、交差する場合はIII.10によって不可能であるという趣旨であろう。
と注釈が書かれている。
というのは、私が書いた上の証明では、場合分けしたそれぞれについて不可能である根拠を書いたが、『原論』の原文では、三つ目の場合(交差する場合)についてしか言及していないからである。他の二つは、いわば「自明」で済まされているのだ。
なんだかユークリッドらしくない書き方である。が、この命題はのちの他の命題に大いに応用される命題であるので、ここだけ後世の追記というこもないだろう。なぜこんな妙な証明の書き方になってしまったのだろうか?
もうひとつ気になる点は、円の切片を移動させている点である。
『原論』では、図形の移動に非常に気を使っている。その例として、第1巻命題2が挙げられる。
第1巻命題2
与えられた点において与えられた線分に等しい線分を作ること
これは線分を任意の場所へ移動(コピー)させる作図である。わざわざこんな命題を用意したということは、ユークリッド的には、線分は根拠なく移動させられないということを意味する。
にもかかわらず、今回の命題では何の根拠もなく円の切片を移動させてしまっている。なぜこんなことをしてしまっているのだろう? 私の「図形の移動」についての理解が浅いのか?(線分の移動は許容できないが、円の移動は許容できる根拠がどこかにあるのか?)
さらに言うと、命題I.2は、そのあとの命題I.4のための準備と考えられている。
命題I.4は、二つの三角形のうち、片方をもう一方に重ね、等しいことを示している。その移動は、三角形全体を一気に移動させるのではなく、辺を一本ずつ動かしていく。それは、命題I.2を根拠としているからだ。
参考文献[3]の命題I.4の解説にはこうある。
この命題では三角形ABGを三角形DEZの上に重ねるという操作が行われる.エウクレイデスがここで図形の移動を行っていることは指摘されてきたが,それは図形の移動を直観的に認めていると考えられてきた.しかしここで直観に基づいて図形の運動を許すならば命題2,命題3をわざわざ証明した意味がなくなってしまう(中略).逆に本命題4での図形の移動を正当化するためにエウクレイデスが命題3(そしてこの根拠となる命題2)を準備しておいたと考えるべきであろう(後略).
さらに、注釈にはこうある。
なお『原論』では図形の移動や運動が扱われることは非常に稀であり,この箇所以外には回転体としての球,円錐,円柱の定義があるのみである(各々XI.定義14,18,21).
命題4が先行する命題によって正当化されているという解釈は意外に新しく,おそらく[Levi 2003](初版は1949年)によるものである.
今回の命題III.24も、命題I.4とやっていることは同じである。二つの図形が等しいことを示すために、片方の図形を動かし、もう片方に重ねているのだ。であるならば、同じように、円弧を動かしてもよい根拠がどこかで示されていなければいけない。
文面も比較してみよう。参考文献[1]の訳文では、それぞれの証明の冒頭はこのようになっている。
命題I.4
三角形ΑΒΓが三角形ΔΕΖに重ねられ、点Αが点Δの上に、線分ΑΒがΔΕの上におかれれば、ΑΒはΔΕに等しいから、点ΒもΕに重なるであろう。
命題III.24
切片ΑΕΒがΓΖΔの上に重ねられ、点ΑがΓの上に、線分ΑΒがΓΔの上におかれるとき、ΑΒはΓΔに等しいから、点Βも点Δの上に重なるであろう。
全く同じ論理展開である。一個目の読点以降は、点の名前が変わってるだけである。
参考文献[4]の原文でも比較してみよう。
命題I.4
᾿Εφαρμοζομένου γὰρ τοῦ ΑΒΓ τριγώνου ἐπὶ τὸ ΔΕΖ τρίγωνον καὶ τιθεμένου τοῦ μὲν Α σημείου ἐπὶ τὸ Δ σημεῖον τῆς δὲ ΑΒ εὐθείας ἐπὶ τὴν ΔΕ, ἐφαρμόσει καὶ τὸ Β σημεῖον ἐπὶ τὸ Ε διὰ τὸ ἴσην εἶναι τὴν ΑΒ τῇ ΔΕ·
命題III.24
᾿Εφαρμοζομένου γὰρ τοῦ ΑΕΒ τμήματος ἐπὶ τὸ ΓΖΔ καὶ τιθεμένου τοῦ μὲν Α σημείου ἐπὶ τὸ Γ τῆς δὲ ΑΒ εὐθείας ἐπὶ τὴν ΓΔ, ἐφαρμόσει καὶ τὸ Β σημεῖον ἐπὶ τὸ Δ σημεῖον διὰ τὸ ἴσην εἶναι τὴν ΑΒ τῇ ΓΔ·
やはりほぼ同じである。文頭の ᾿Εφαρμοζομένου ~ ἐπὶ ... が「...は~に重ねられる」を意味するようだ(ちょっと自信がない)*6。
τριγώνου が「三角形」*7、τμήματος が「(円の)切片」を意味する*8。原文もこの二単語が違うだけで、あとはほとんど同じである。
両者は同じ操作をしていて、命題I.4の方が「線分を動かしてよいとする命題I.2」を根拠としていると主張するならば、命題III.24にも「円弧を動かしてよいとする命題」がなければいけない。
私も今まで「命題I.4で線分を動かしているのは命題I.2を根拠としているし、命題I.2があるのは線分をおいそれと動かしてはいけないから」という説を信じていたが、今回の命題III.24との整合性を考えると、この説はどこか間違っているのかもしれない。
あるいは、円弧を動かしてよい根拠がどこかにあって、それを私が見落としているだけかもしれない(その可能性の方が高い)。いったいどこで見落としているのだろう?
*1:命題1-2「与えられた点において与えられた線分に等しい線分を作ること」
*2:公理7「互いに重なり合うものは互いに等しい」
*3:命題3-23「同じ線分の上の同じ側に、円の相似で不等な二つの切片は作られ得ない」
*4:命題3-10「円は円と二つより多くの点で交わらない」
*5:公理7「互いに重なり合うものは互いに等しい」
*6:命題I.4の日本語訳では三角形ΑΒΓが主語になっているし、参考文献[4]の英訳でもそうなっているが、原文を見ると主語(主格)は三角形ΔΕΖの方である。三角形ΑΒΓは属格になっている。語学が得意な人ならこの情報からここの文をうまく訳せるのだろうが、私は苦手なのでどう訳すべきかよくわからない。
*7:τριγώνουは形容詞なので、「三角形のΑΒΓ」という意味になるのだろう。
*8:ΑΕΒ τμήματος で、「切片のΑΕΒ」を意味するようだ。