- いかなる直角平行四辺形(矩形)も直角を挟む二線分によって囲まれると言われる。
- いかなる平行四辺形においても、その対角線を挟む平行四辺形のどれか一つは、二つの補形と合わせてグノーモーンと呼ばれるとせよ。
今回から第2巻が始まる。
第2巻は、第1巻と趣が大きく異なるのだが、内容について語る前に、まずは定義に触れておこう。
第2巻には、上記の2つの定義しか登場しない。第1巻で大量の定義が出てきたのとは対照的だ。ちなみに、命題数もたったの14個だ。全13巻中最も少ないのがこの第2巻である。
定義1は、図形そのものの定義というよりは、呼び方の紹介といった雰囲気だ。これは矩形(要するに長方形)の定義だが、ここで定義したいのは矩形そのものではない。
例えば上図のように、直線ΑΒ上に一点Γがあるとき、
直線ΑΒとΒΓに囲まれる矩形
というものを考えることがある。しかし当然ながら、ΑΒとΒΓは矩形を囲まない。このように書いた場合は、二辺の長さがΑΒ、ΒΓに等しい矩形を指しているのだ。
(二線分ΑΒ、ΒΓに囲まれる矩形。この矩形の高さは、ΒΓに等しい)
定義1は、このような呼び方をするという宣言である。
(2018/03/03追記)上図の矩形を、単に「矩形ΑΒ、ΒΓ」と呼ぶこともある。
定義2は、グノーモーンという図形の定義である。これは、下図の塗りつぶした部分のことだ。
図で書けば簡単なのだが、文章で説明しようとすると難しい。
まず平行四辺形の対角線を引く。そして各辺に平行な直線を、対角線上の一点で交わるように描く。このとき四つの平行四辺形ができるが、対角線上の平行四辺形を「対角線を挟む平行四辺形」と呼び、それ以外の二つを「補形」と呼ぶ(第1巻命題43の記事参照)。対角線を挟む平行四辺形の一つと、二つの補形を合わせた形が、グノーモーンである。
ギリシャ語の綴りでは、 である。本によっては「グノモン」とか「グノーモン」とかと書かれている。
そしてグノーモーンは、例えば下図のように文字を書いて、
グノーモーンΘΚΛ
などと表現する。
ここでは平行四辺形で説明したが、実際には正方形のグノーモーンを取り扱うことがほとんどのようだ。
余談だが、グノーモーンの元々の意味は、日時計の上についている針のことらしい。地面に刺した棒とその影を合わせると、確かにグノーモーンのような形になる。
もう一つ余談だが、この「グノーモーン」という単語を知っていると、通ぶれるような気がする。なんの通なのかはわからないが。
さて、冒頭で、第2巻は第1巻と趣が違うと述べた。どう違うのか、説明しておこう。
第1巻では、三角形や平行線、平行四辺形など、基本的な平面図形の性質が述べられた。一方第2巻は、線分を切ったり延ばしたりして、その上にできる矩形同士の関係について論じる。
例えば、第2巻命題4は、次のようなものだ。
線分ΑΒがΓにおいて任意に分けられたとせよ。ΑΒ上の正方形は、ΑΓ、ΓΒ上の正方形とΑΓ、ΓΒに囲まれた矩形の二倍との和に等しい。
詳しいことは命題4の記事で説明するので、今は雰囲気だけ述べておこう。
まず線分ΑΒがあり、それを点Γで切る。このとき、ΑΒ上の正方形ΑΕは、四つの図形(正方形ΘΖ、正方形ΓΚ、矩形ΑΗ、矩形ΗΕ)の和に等しいと述べている。
まあ、直感的に当然だろう。下図のように色分けすれば分かりやすいだろうか。
四つの矩形を全部併せると、大きい正方形ΑΒΕΔになると述べているのが、命題4だ。第2巻は、最初の10個はひたすらこのような命題が続く。残りの4個も似たような雰囲気だ。
これはいったい、何なのだろうか。なぜこんなものを考えるのだろうか?
その理由は、数学に詳しい人なら、上の図を見ただけでピンと来るだろう。これはいわゆる、展開と因数分解を表しているのだ、と。
ΑΓをa、ΓΒをbとすると、正方形ΑΒΕΔの面積は
と表される。そして四つの矩形の面積はそれぞれ、
ΘΖの面積
ΓΚの面積
ΑΗの面積
ΗΕの面積
と表される。四つを合わせると正方形全体に等しいと言っているのだから、結局この命題は、
を意味しているのだ。
ユークリッドの時代には、文字式がなかった。そこで彼らは、現代の代数学に相当するものを、図形的に扱っていたのである。これを「幾何学的代数学」と呼ぶ。第2巻は、現代なら中学校で習うような、展開と因数分解、そして二次方程式の解法を扱った巻なのだ。
……というのが、1970年代までの有力な解釈だった。
私もこのブログのために『原論』をしっかりと読むまで気付いていなかったのだが、第2巻の命題を読み込むと、これが代数学、特に「二次方程式の解法」と解釈するのは無理があることに気付く。
「素人が読んだだけで気付くなら、どうして1970年代まで有力だったんだ」とイチャモンを付けられそうだが、それにはおそらく色々な理由がある。
まず、「無理がある」というのは単なる私の感想であって、証拠が何もないことだ。証拠がなければ、それは学問的事実として受け入れられない。こうしてブログに書くだけなら構わないが、論文にはできないのだ。
そして最大の理由は、現代の数学に慣れた人間には、第2巻は代数学にしか見えないということだ。第2巻の内容は、第3巻以降や、ユークリッドの他の著作で頻繁に利用されている。それらの利用方法もまた、代数学のように見える。代数学にしか見えないのだから、代数学以外の解釈のしようがない。
だが、現代の代数学を使えば、たいていの図形の問題は代数学で解ける。ユークリッドの著作が代数学に見えるのは、我々が代数学を知りすぎているからだ。
たぶん、歴史に詳しい人には、この問題の要点がわかるだろう。1970年代まで、研究者たちは現代の知識に基づいて、過去の数学を見ていたのだ。だがそれは、歴史を研究する上で決してやってはならない行為だ。
(このような研究をした過去の研究者たちを批判するのも、やってはならない行為だ。「歴史をどう研究すべきか」という思想もまた、歴史の中で変化してきたからだ)
1970年代以降に、現代の知識ではなく、当時可能だった技法と表現形式で、ギリシャ数学を再構成しようという動きが起こった。ユークリッドが第2巻を書いた動機を、今一度考えなおそうとしたのだ。その結果、第2巻は決して代数学ではなく、純粋に幾何学の定理であるという解釈が有力になっていった。
では何のためにこんな定理を考えたのか。理由の一つが円錐曲線論だと考えられている。円錐曲線とは、円錐を切ったときに現れる曲線のことで、円、楕円、放物線、双曲線のことだ。一見全く違う形に見えるこれらだが、実は共通の性質をいくつも持っている。その性質を証明するために、第2巻の定理は利用される。
これまた現代の数学に詳しい人ならピンと来るように、円錐曲線はすべて二次式で表される。従って円錐曲線の性質を代数的に証明しようとすると、どうしても二次方程式を解くことになる。そして二次方程式を解くためには、中学で習う展開と因数分解が必要だ。第2巻の内容が簡単な展開・因数分解に見えるのは、単なる偶然ではなく、数学的な原因があるわけだ。
参考文献[3]124頁には、次のように書かれている。
以上で見てきたように、第II巻の最初の10個の命題は、円錐曲線などの図形に関する証明と問題解決のための補助定理と考えれば、これら10個の命題が『原論』に存在し、しかも現在のような順序で(II.4, 7がばらばらの形で)配列されていることも説明できる。(中略)もちろんこれらの命題のうち、II.5,6によって解決される問題が、代数方程式に相当するということは事実である。しかしこの事実を必要以上に拡張して第II巻全体の性格を代数的なものと考えるには無理があり、逆に多くの説明困難な事柄を発生させる。「幾何学的代数学」は現代の数学的知識を前提に過去の数学を評価する、かつてのアプローチが生んだ幻であったと言うべきだろう。
ちなみに、これまでの記事で「角の和」「線分の和」といった表現を用いてきたが、実は『原論』のギリシャ語写本には、「和」を意味する単語はほとんど出てこないらしい。参考文献で「和」と書かれているところは、原文では角や線分の名前を列挙し、冠詞を複数形にしているだけらしいのだ(ギリシャ語には冠詞にも複数形と単数形がある)。このことも、ユークリッドが線分を繋げる行為を算術的な加法だと認識していなかったことを示唆している。
というわけで、当ブログでは、第2巻が幾何学的代数学ではないことの確認を目標に、この巻を読んでいくとしよう。
なお、先述の通りこのブログは単なる感想文であって、論文ではない。なるべく正確なことを書くつもりではいるが、「これを代数学だと思うのは無理がある」という私の無根拠な仮説も述べるつもりでいるので、そこはご了承いただきたい。