直角三角形において、直角の対辺の上の正方形は直角を挟む二辺の上の正方形の和に等しい。
『原論』の三大有名定理の一つ、ピタゴラスの定理の登場である。
これまでにも何度か触れたが、「ユークリッドはピタゴラスの定理を証明するために『原論』第1巻を書いた」とまことしやかに噂されることもあるようだ。この噂自体は眉唾物だが、そう考えたくなる気持ちはわからないでもない。
詳しいことは後で語ることにして、まずは証明を読もう。
ΑΒΓを、角ΒΑΓを直角とする直角三角形とする。このとき、ΒΓの上の正方形は、ΒΑ、ΑΓの上の正方形の和に等しいことを証明する。
まず、辺ΒΓ上に正方形ΒΔΕΓを、ΒΑ、ΑΓ上に正方形ΗΒ、ΘΓを描き*1、点Αを通りΒΔ(またはΓΕ)に平行にΑΔを引く*2。
(ΑΛ // ΒΔ)
そして、ΑΔ、ΖΓを結ぶ*3。
すると、角ΒΑΓ、角ΒΑΗはともに直角なので、二線分ΓΑ、ΑΗは一直線を成す*4。
さて、ここで二つの三角形ΒΔΑとΒΓΖに注目する。まず、角ΔΒΓと角ΖΒΑは、ともに直角なので互いに等しい*5。双方に角ΑΒΓを加えれば、角ΔΒΑ全体と角ΖΒΓ全体は互いに等しい*6。
そして、ΒΔはΒΓに等しく、ΒΑはΒΖに等しい。よって、二辺とその間の角がそれぞれ等しいので、三角形ΒΔΑは三角形ΒΓΖに等しい*7。
ここで、平行四辺形ΒΛは、三角形ΒΔΑの二倍である。なぜなら、同じ底辺ΒΔの上にあり、同じ平行線ΒΔ、ΑΛの間にあるからだ*8。
また、正方形ΒΗは三角形ΒΖΓの二倍である。なぜなら、同じ底辺ΒΖの上にあり、同じ平行線ΒΖ、ΓΗの間にあるからだ*9。
ゆえに、二つの三角形ΒΔΑとΒΓΖが等しく、平行四辺形ΒΛと正方形ΒΗはそれぞれの二倍なので、平行四辺形ΒΛは正方形ΒΗに等しい*10。
同様に、ΚΒ、ΑΕを結べば*11、平行四辺形ΓΛが正方形ΓΘに等しいことも示せる。
ゆえに、正方形ΒΔΕΓ全体は、二つの正方形ΗΒ、ΘΓの和に等しい。そして正方形ΒΔΕΓはΒΓの上に描かれ、正方形ΗΒ、ΘΓは辺ΒΑ、ΑΒの上に描かれている。
よって、直角三角形において、直角の対辺の上の正方形は直角を挟む二辺の上の正方形の和に等しい。これが証明すべきことであった。
これが有名な、ユークリッドによるピタゴラスの定理の証明である。最後の図は後世の人々によって、「風車」とか「クジャクの尻尾」とか、「花嫁の椅子」とかと呼ばれているようだ(ボイヤー『数学の歴史』)。
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ピタゴラスの定理はどういうわけか非常に人気で、多くの人々によって百を超える別証明が与えられている。それを網羅するだけで一冊の本が書けるほどだ。
上述のボイヤー『数学の歴史』によれば、今回の証明方法はユークリッドが独自に編み出したものらしい。よくピタゴラスの定理はピタゴラスが証明したと紹介されるが、この本の説明を信じるなら、その証明は今回のものとは異なるようだ。
もっとも、ピタゴラスが本当にピタゴラスの定理を証明したのかは、わかっていない。現代の中学の教科書(数研出版『中学校 数学3』)には、「ピタゴラスが研究したと伝えられている」と曖昧に書かれている。
ちなみに、ここでいう「研究」が、数学的なものだったかどうかもわからない。西暦250年頃に書かれたイアンブリコス『ピュタゴラス伝』の一三〇節から一三一節には以下のようにある。
また、かの人は国家の線分を三本結びつけ、その三本は先端で互いに交わり、ひとつの直角をつくり、一辺は他辺の四に対し三の比、一辺は五の斜辺、一辺はこれら二辺の中間。各辺の互いへの接合と、各辺からできる面の接合を勘考するなら、国家の、秀逸無比の似姿が素描されたことになる。
何を言っているのかわからないと思うが、研究者たちも何を言っているのかわかっていないようだ。色々な解釈が提案されているが、同書の補注によれば、以下のようなことらしい。
ここで言及されているのは三辺の長さが三、四、五の直角三角形で、その面積は六だ。これらの間には様々な関係が成り立つ。まずであるし、三対四、四対六、三対六などは和音を作る。そしてだが、でもある。このような秀逸な図形が三対四対五の直角三角形なのだ。
また、最初の男性数三を原因、最初の女性数四を受容者とし、両者から生まれるものを五とする。これを国家に当てはめると、三が政治家、四が市民となり、五は政治家と市民を統制する法に相当する。政治家と市民が法に服従し調和的に生活している共同体社会を、直角三角形は象徴している。
……何を言っているかわかるだろうか。私はわからない。極めつけに、同書一七九節には、次の言葉がピタゴラスのものとして紹介されている。
「正義が似るのはかの幾何学図形、まさにこれだけが、幾何学の諸図形のなかで、図形の結構を無限に有しながらも、互いに等しくないにもかかわらず、平方の証明は等しい」
直角三角形は、三辺の長さを無限に選べる。つまり不平等で不均整で無秩序だということだ。にもかかわらず、常に斜辺の平方は他の二辺の平方の和に等しい。無秩序な中に平等、均整、制限を与えるのが正義であり、それは直角三角形に似ているとピタゴラスは説いたのである。
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話が大きく逸れた。『原論』に戻ろう。
冒頭にも書いたが、ユークリッドはピタゴラスの定理を証明するためにこの本を書いたと噂されている。しかし私個人としては、この説をあまり推していない。
というのも、もしピタゴラスの定理が目的だとしたら、関係ない命題があまりに多いからだ。特に、命題45「直線図形に等しい平行四辺形の作図」が全く使われないのは不自然である。
命題45は、命題41から順に三角形を平行四辺形に変形する作図を行い、その集大成として登場する。一方ピタゴラスの定理はここに来て突然登場し、しかも命題45を使わない。ピタゴラスの定理が目的なら、なぜあんなに苦労して命題45を証明したのだろう?
当ブログの参考文献[3]の第1巻245頁には、以下のようにある。
第I巻の最後には、ピュタゴラスの定理に関連する3つの命題がおかれていることになる。しかしこれらはその前の領域付置の命題群(I.42-45)に依存しておらず、どちらを先にすることも可能である。しかも第I巻のほとんどの命題が直接間接に領域付置のために利用されているのに、ピュタゴラスの定理のために必要となる命題は意外に少ない。第I巻の真の目的は領域付置にあったのかもしれない。
ユークリッドがどのようなつもりでピタゴラスの定理を載せたのかはわからない。だが、これが主目的だったわけではなさそうだ。
次回はいよいよ第1巻の最後の命題「ピタゴラスの定理の逆」である。
*1:命題46「与えられた線分上に正方形を描くこと」
*2:命題31「与えられた点を通り、与えられた直線に平行線を引くこと」
*4:命題14「もし任意の直線に対して、その上の点において同じ側にない二直線が接角の和を二直角に等しくするならば、この二直線は互いに一直線を成すであろう」
*6:公理2「等しいものに等しいものが加えられれば、全体は等しい」
*7:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」
*8:命題41「もし平行四辺形が三角形と同じ底辺を持ち、かつ同じ平行線の間にあれば、平行四辺形は三角形の二倍である」
*9:命題41「もし平行四辺形が三角形と同じ底辺を持ち、かつ同じ平行線の間にあれば、平行四辺形は三角形の二倍である」
*10:公理5「同じものの二倍は互いに等しい」