第1巻命題26 三角形の合同条件(一辺両端角相等)
もし二つの三角形において、二角が二角にそれぞれ等しく、一辺が一辺に、すなわち等しい二角に挟まれる辺かまたは等しい角の一つに対する辺が等しければ、残りの二辺も残りの二辺に等しく、残りの角も残りの角に等しいであろう。
ついに三つ目の合同条件の登場である。前の二つが命題4と8で登場したことを考えると、随分間が空いたものである。stoixeia.hatenablog.com
現代の日本の中学では、「一辺とその両端の角がそれぞれ等しいと合同」と習う。しかし『原論』では、「二つの角とどこか一辺がそれぞれ等しいと合同」と説明している。三角形の内角の和は180度なので、二つの角が等しければ残りの角も等しい。したがってちょっと図を描けば、この二つの説明が同値であることはすぐにわかる。
『原論』でこのような説明になっているのは、『原論』ならではの理由がある。それについては後で触れることにして、先に証明を読もう。
二つの三角形ΑΒΓ、ΔΕΖがあり、二角ΑΒΓ、ΑΓΒが、二角ΔΕΖ、ΔΖΕに等しいとする。
証明は、二つの場合に分けて行われる。一つ目は等しい二角に挟まれた一辺が等しい場合(ΒΓ=ΕΖの場合)、二つ目は等しい角に対する辺が等しい場合(ΑΒ=ΔΕの場合)だ。
まず、ΒΓ=ΕΖの場合を証明しよう。示したいのは、辺ΑΒ=辺ΔΕ、辺ΑΓ=辺ΔΖ、角ΒΑΓ=角ΕΔΖの三つだ。
証明は背理法で行う。もしΑΒがΔΕに等しくなければ、どちらか一方は大きい。仮にΑΒが大きいとして、ΑΒからΔΕに等しい線分ΒΗを切り取り*1、ΗΓを結ぼう*2。
(ΒΗ=ΕΔ)
ここで二つの三角形ΗΒΓとΔΕΖに注目すると、これらは二辺ΒΗ、ΒΓが二辺ΕΔ、ΕΖに等しく、それらに挟まれた角ΗΒΓと角ΔΕΖも等しいので、命題4から、合同である*3。ゆえに角ΗΓΒも角ΔΖΕに等しい。ところが、角ΔΖΕは角ΑΓΒに等しい。したがって角ΗΓΒも角ΑΓΒに等しいことになる*4。だがこれは不可能である*5。ゆえにΑΒはΔΕに不等ではない、すなわち等しい。
ΑΒがΔΕに等しく、ΒΓもΕΖに等しいので、二つの三角形ΑΒΓとΔΕΖは、二辺とその間の角がそれぞれ等しい。よって命題4から、底辺ΑΓは底辺ΔΖに等しく、残りの角ΒΑΓも残りの角ΕΔΖに等しい*6。
これで一つ目の場合が示せた。
次は二つ目の場合、つまりΑΒ=ΔΕの場合だ。示したいのは、辺ΒΓ=辺ΕΖ、辺ΑΓ=辺ΔΖ、角ΒΑΓ=角ΕΔΖの三つだ。
再び背理法を使う。ΒΓとΕΖが不等だとしよう。ΒΓを大きいとして、ΕΖに等しい線分ΒΘを切り取り*7、ΑΘを結ぶ*8。
(ΒΘ=ΕΖ)
ここでまた、二つの三角形ΑΘΒとΔΖΕに注目しよう。これらは二辺ΑΒ、ΒΘが二辺ΔΕ、ΕΖに等しく、それらが挟む角ΑΒΘも角ΔΕΖに等しい。ゆえに命題4から、合同である*9。よって角ΑΘΒも角ΔΖΕに等しい。ところが角ΔΖΕは角ΑΓΒに等しいので、角ΑΘΒも角ΑΓΒに等しくなる*10。
すると、三角形ΑΓΘの外角ΑΘΒが、内対角ΑΓΘに等しいことになってしまう。だがこれは不可能である*11。ゆえにΒΓとΕΖは不等ではない、すなわち等しい。
ΒΓがΕΖに等しく、ΑΒもΔΕに等しいので、二つの三角形ΑΒΓとΔΕΖは、二辺とその間の角が等しい。よって命題4から、底辺ΑΓは底辺ΔΖに等しく、残りの角ΒΑΓも残りの角ΕΔΖに等しい*12。
これで二つ目の場合も示せた。
よってもし二つの三角形において、二角が二角にそれぞれ等しく、一辺が一辺に、すなわち等しい二角に挟まれる辺かまたは等しい角の一つに対する辺が等しければ、残りの二辺も残りの二辺に等しく、残りの角も残りの角に等しいであろう。これが証明すべきことであった。
現代の我々なら、二つ目の証明はもっと簡単にできる。三角形の内角の和は180度なので、二つの三角形において二つの角が等しいならば、残りの角も等しい。よって角ΒΑΓ=角ΕΔΖとなるので、一つ目の場合(等しい二角に挟まれた一辺が等しい場合)に帰着できる。
『原論』でこのような証明を行っていない理由は明白であろう。『原論』ではまだ、三角形の内角の和が一定であることが、証明されていないからだ。そのため、このような回りくどい証明が必要になっている。
証明文中で明示したように、今回の証明には命題4「二辺挟角相等」が多用されている。命題8「三辺相等」の証明にも、命題4は(間接的に)使われていた。
してみると、三角形の合同条件というのは突き詰めれば、「二辺とその間の角」だけだということだ。これはなかなか面白い豆知識である。
命題8の記事で、「ユークリッドの時代には合同の概念が未確立だった」と書いた。今回の命題26でも、「これこれのとき、二つの三角形は等しい」とは言わず、「これこれのとき、残りの二辺と角は等しくなる」という述べ方になっている。
考えてみると、合同というのは不思議な概念である。二つの三角形があるとき、それらの位置や向きが異なっていても、我々は二つの三角形を合同、すなわち「同じ」と見なしてしまう。
ユークリッドの時代には、そのようなことをしなかった。当時の人々にとって、すべての三角形は互いに「違う」ものなのだ。その上で、一定の条件を満たした三角形同士は「辺と角が等しい」と述べることができた。
三角形そのものが等しいと述べているのは、命題4だけである。何か理由があるのかもしれないし、単に他の二つのときは述べ忘れただけかもしれない。
『原論』における「等しい」の定義は、「互いに重なり合うこと」である。命題4でも8でも、二つの三角形を重ねて証明していた。今回の命題26だけ、違う方法で証明している。
これも、理由があるのか単なる気紛れなのか、私にはわからない。一応、「一辺両端角が等しい三角形同士は、すべての辺と角が等しいので互いに重なり合い、等しい」と言うことはできる。
中学で合同条件について習ったときは、これらの条件で二つの三角形が「同じである」と言える理由を、「これらの条件が成立すると三角形を一通りにしか作図できないから」と説明された記憶がある。
この説明に、当時の私はなんとなくモヤっとしたものを感じていた。「本当に一通りにしか作図できないのか? 頑張れば作図できるんじゃないのか?」と思ったからだ。
しかし『原論』では、そのような説明はしていない。三つの合同条件それぞれについて、残りの辺と角が確かに等しくなることを、作図せずに証明してる。
これは私にとって、衝撃的で感動的な証明である。
積年の謎が完全に解けたのだ。非常に美しい証明だと思う。
さて、実は今回で、三角形に関する定理は一旦終了となる。次回からは、平行線と平行四辺形に関する定理を証明していく。
そして命題37からは、三角形、平行線、平行四辺形の三つにまたがる性質を証明し、最後の命題47と48で、それらを駆使してピタゴラスの定理を証明する。
ここからが、本格的な「後半戦」だ。
*1:命題3「二つの不等な線分が与えられたとき、大きいものから小さいものに等しい線分を切り取ること」
*3:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」
*4:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」
*5:公理8「全体は部分より大きい」
*6:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」
*7:命題3「二つの不等な線分が与えられたとき、大きいものから小さいものに等しい線分を切り取ること」
*9:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」
*10:公理1「同じものに等しいものはまた互いに等しい」
*11:命題16「すべての三角形において、辺のひとつが延長されるとき、外角は内対角のいずれよりも大きい」
*12:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」