オペレヴィ・ヴィクセ

ユークリッドの『原論』を少しずつ読んでいくブログです。タイトルは「Q.E.D.」の元になったギリシャ語の「όπερ έδει δείξαι.」。

第3巻命題13 二円の接点の個数

円は円と、内側で接するにせよ外側で接するにせよ、一つより多くの点においては接しない。 

 

前回、前々回と、二円が接するとき、二円の中心を結ぶ線分は二円の接点を通ることを示した。

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これらの命題では、接点の個数については言及していなかった。しかも証明をよく読むと、接点がいくつあっても成立する。接点がいくつであれ、中心を結ぶ線分は、接点以外の点は通らないのだ。

今回の命題の主張は、内接円と外接円のそれぞれについて触れている。順番に証明していこう。

 

証明は背理法で行う。円ΑΒΓΔが、円ΕΒΖΔと内側でひとつより多くの点Δ、Βで接するとする。ここでは二点とするが、三点以上でもそのうちの二点を選べば以下の証明は成立する。

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さて、円ΑΒΓΔの中心Ηと円ΗΒΖΔの中心Θをとろう*1。すると、これらを結ぶ線分は接点を通るので、二点ΒΔを通るであろう*2

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線分ΒΗΘΔとなったとすると、点Ηは円ΑΒΓΔの中心であるから、線分ΒΗは線分ΗΔに等しい*3。さらに、線分ΗΔは線分ΘΔより大きいので*4、線分ΒΗも線分ΘΔより大きい。その上、線分ΒΗよりも線分ΒΘの方が大きいので、線分ΒΘも線分ΘΔより大きい。

文章だとわかりにくいが、図よりΘΔ<ΗΔ=ΒΗなので、ΒΗ<ΒΘより、ΘΔ<ΒΘだと主張している。

ところが、点Θは円ΕΒΖΔの中心であるから、線分ΒΘは線分ΘΔに等しい*5。これは不可能である。したがって、円は円と内側で一つより多くの点で接することはない。

上記は四点がΒΗΘΔの順に並んだ場合であるが、ΒΘΗΔの順に並んだ場合も同様に示せることは明らかであろう。

 

これで内側に接する円は一つより多くの点で交わらないことが示せた。続けて、外側に接する円について考える。

ΑΓΚが円ΑΒΓΔと外側で一つより多くの点ΑΓで接するとする。

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ΑΓΚがどう見ても円ではないが、こうしないと図が描けないので仕方がない。

ΑΓを結ぼう*6

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円周上の二点を結ぶ線分は、円の内部に落ちる*7。従って、線分ΑΓは、二円ΑΒΓΔΑΓΚの双方の内部に落ちるであろう。

ところがそれは円ΑΒΓΔの内部に、円ΑΓΚの外部に落ちた。なぜなら、円ΑΓΚは、円ΑΒΓΒの外側に位置するからだ。これは不合理である。反対に、線分ΑΓが円ΑΓΚの内部に落ちたとしても、円ΑΒΓΔの外部に落ちることになり、どちらにせよ不合理である。したがって、円は円と外側で一つより多くの点では接しない。

よって円は円と、内側で接するにせよ外側で接するにせよ、一つより多くの点においては接しない。

 

 

途中、文章ではちょっとわかりにくい箇所があるが、言っていることは単純である。「これよりこっちの方が大きく、それよりもさらにこちらの方が大きいので、最初のより最後のやつの方が大きい」という論理である。

証明をよく読むと、第3巻命題11は使用しているが、命題12は使用していないことが分かる。両者はよく似た命題なのに、片方しか使われないのだ。

命題12の記事でも書いたが、参考文献[3]によると、命題12は後世のヘロンによる追加だそうだ。『原論』では「これまでに証明した命題のみを使って証明する」というスタンスを取っているが、ユークリッドはそれだけでなく、「この後の証明に利用しない命題は、あまり書かない」というスタンスも取っている。しかし、それでは締まりが悪い箇所もあるため、後世の人々が追記してしまったようだ。

 


 

証明の前半で、以下のような図を描いた。

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この図で ΘΔ<ΗΔ=ΒΗ<ΒΘ となることが証明の肝だったわけだが、この関係は二点Η、Θが一致すると成立しない。

だが、二円が内接するとき、それらの中心は一致しないことが第3巻命題6で証明されている。従って、この関係は成立する。

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今回の証明に登場した図をひとつにまとめると、以下のようになる。

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証明の文中にも少し書いたが、この図は何とも不自然である。というのも、円ΕΒΖΔと円ΚΑΓが、どう見ても円に見えないからだ。

とはいえ、これらを正確に円で描くことはできない。そもそもそれができないというのが、今回の命題だからだ。

参考文献[3]によると、この図は『原論』の版によって異なる図が描かれているらしい。19世紀末に書かれ、参考文献[1]の底本にもなっているハイベルク版*8

には、以下のような図が描かれている。

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この図の方が、なんとなく自然である。元の円ΑΒΔΓに接している二円ΕΒΖΔ、ΚΑΓが、どちらも円か楕円っぽいからだ。

しかし、ΕΒΖΔはともかく、ΚΑΓの形は証明の内容と合っていない。なぜなら、線分ΑΓが、ΚΑΓの内部を通ってしまっているからだ。今回の証明では、線分ΑΓがΚΑΓの外部を通ることがキモだった。そのことが、この図では抜けてしまっているのである。

ハイベルグ版の図の方が後世に描かれたもので、今回の証明でも描いた三日月のような図の方が、より古い(原典に近い)図だと考えられているようだ(参考文献[3]p.68)。

 

当ブログで古い図を採用したのは、以下の理由による(なおこれは、ほぼ参考文献[3]の受け売りである)。

第3巻の定義3には、「相会し相交わらない円は相接すると言われる」と書かれていた。つまり、「二円が接する」とは、「二円が会うが、交わらない」ことなのだ。

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ハイベルグ版の図では、二円は交わってしまっている。一方、古い版の図では、二円は接するだけで交わっていない。したがって、こちらの方がより“正しい”図だと解釈できるのだ。

もうひとつ理由がある。

第1巻の定義15には、「円とは一つの線に囲まれた平面図形で、その図形の内部にある一点からそれへ引かれたすべての線分が互いに等しいものである」とある。これをよく読んで、考えてみよう。

我々は「円」と言われると「〇」を想像するが、この定義は「円=〇」だとは言っていない。したがって、今回描いた三日月のような形でも、円の可能性があるのだ。だから、ハイベルグ版のように、円や楕円に寄せた形を描く必要はないのである。

 

さて、命題10から13まで、二円の関係について論じてきた。次の命題14からは、弦について論じていく。

 

 

*1:命題3-1「与えられた円の中心を見出すこと」

*2:命題3-11「もし二つの円が内側で互いに接し、それらの中心がとられるならば、それらの中心を結ぶ線分は延長されて円の接点におちるであろう」

*3:定義1-15「円とは一つの線に囲まれた平面図形で、その図形の内部にある一点からそれへ引かれたすべての線分が互いに等しいものである」

*4:公理8「全体は部分より大きい」

*5:定義1-15「円とは一つの線に囲まれた平面図形で、その図形の内部にある一点からそれへ引かれたすべての線分が互いに等しいものである」

*6:公準1「任意の点から任意の点へ直線をひくこと」

*7:命題3-2「もし円周上に任意の二点が取られるならば、二点を結ぶ線分は円の内部に落ちるであろう」

*8:Johan L. Heiberg (1854-1928).デンマークの古典文献学者。1883-1916年にかけて、ユークリッド全集を執筆した。この全集の『原論』部分は、現在ネットで無料で読める。

http://farside.ph.utexas.edu/Books/Euclid/Elements.pdf