円は円と二つより多くの点で交わらない。
『原論』最初の命題で、二円が交点を持つことを無証明に利用していた。
現代数学では二円が交点を持つことは証明が必要らしいが(詳しくは知らない)、『原論』では不要だと解釈されている。現代数学における円は「点の集合」だが、『原論』における円は線分だからである。
さて、第3巻は命題5と6が二円の関係、7から9が円と一点から引かれた線分の関係について論じていた。今回の命題10から13までは、再び二円の関係について論じる。
この不自然な並びから、命題7から9は後世の追記ではないか、とも言われているようだ。実際、命題7から9はのちの命題で利用されていないようだ。
前置きはここまでにして、今回の命題を見て行こう。二円が交わるとき、その交点は二つより多くならない、と言っている。
証明は背理法を使う。二円が二つより多くの交点を持つと仮定して、矛盾を導こう。
二円ΑΒΓ、ΔΕΖが、二つより多くの点Β、Η、Ζ、Θで交わるとしよう。なお、ここでは四点で交わることになっているが、証明に利用するのはこのうち三点だけである。
(片方が明らかに円ではないが、こうでもしないと図が描けないのでこれで勘弁してほしい。ちなみに両方とも円ではない)
ΒΘ、ΒΗを結び*1、それぞれを点Κ、Λで二等分しよう*2。
そして、Κ、Λから、線分ΒΘ、ΒΗに垂直にΚΓ、ΛΜを引き*3、それを点Α、Εまで延長しよう*4。
このようにして、円ΑΒΓに注目する。すると、弦ΑΓが弦ΒΘを垂直に二等分しているので、円ΑΒΓの中心は弦ΑΓ上にある*5。同様に、弦ΝΞが弦ΒΗを垂直に二等分しているので、円ΑΒΓの中心は弦ΝΞ上にある。
以上から、円ΑΒΓの中心は弦ΑΓ上かつ弦ΝΞ上にあるが、これらは点Ο以外の点では交わらない。ゆえに、点Οは円ΑΒΓの中心である。
同様にして、点Οが円ΔΕΖの中心であることも示せる。ゆえに、互いに交わる二円ΑΒΓ、ΔΕΖが、同じ中心Οを持つことになる。だが、これは不可能である*6。
よって、円は円と二つより多くの点で交わらない。これが証明すべきことであった。
証明中にも書いた通り、図では四点で交わっているが、証明に使うのは三点だけである。二円が三点以上で交われば、今回の証明と同じことが言えるので、二円が三点以上で交わることはないと言える。
当ブログでは一切紹介していないが、『原論』の命題には、別証明が付されたものも多い。今回の命題にも、別証明があるそうだ。この別証明は、ヘロンによって追記されたものだと考えられている。
そして前回の命題9は、今回の命題の別証明に利用されている。しかしこれ以降、命題9を利用する命題は登場しない。前述の通り、このことから、命題9は後世の(ヘロンの?)追記だと考えられているようである。
今回の証明では、円の中心が記号Οで書かれていた。現代では円の中心をローマ字のOで書くことが多いが、これはユークリッドの時代からの慣習なのだろうか。
……と考えたくなるが、そうではなく、これはただの偶然である。ΟはΞの次のアルファベットなのだ。これまでの命題でも、円の中心を表す記号はΖだったりΕだったりと、統一されていない。
『原論』では、点の名前は証明に登場する順番に、機械的につけられる。そのため、ほぼ同じ図であっても、命題によって点の名前が異なる場合が多い(これは第2巻の命題に顕著である)。
現代のように、特定のものを表す記号が統一されるようになったのは、いつ頃なのだろう。少しだけ気になったので、有名どころをぱらぱらとめくってみた。
デカルトの『幾何学』(1637年)では『原論』と同様、順番に記号を振っており、特定のものを表す記号はなさそうである。しかも、ページをまたいでも順番に振っている箇所まである。
ガリレオの『天文対話』(1632年)でも、円の中心がAだったりCだったりして、統一されていない。しかしどういうわけか、太陽を中心に描いた図だけは、中心をOで表している。
ニュートンの『プリンキピア』(1687年)では、(持っていないのでネットで画像検索しただけだが)円の中心がC、楕円などの焦点がSとHで統一されているように見える。もしかしたら、このあたりの時代から固まっていったのかもしれない。
(適当に書いているので信じないように)
この辺のことを詳しく調べた論文も、探せば見つかりそうではある。