オペレヴィ・ヴィクセ

ユークリッドの『原論』を少しずつ読んでいくブログです。タイトルは「Q.E.D.」の元になったギリシャ語の「όπερ έδει δείξαι.」。

第2巻命題1 線分と分けられた線分とに囲まれた矩形

もし二線分があり、その一方が任意個の部分に分けられるならば、二線分に囲まれた矩形は、分けられていない線分と分けられた部分の各々とに囲まれた矩形の和に等しい。 

 

何を言っているかわかるだろうか?

この命題だけを読んで文意を正確に読み取れる人は、そうとう理解力が高い人だろう。第2巻はほとんどの命題がこのような文になっていて、何を言っているのかさっぱりわからない。命題に続く「特述」を読んで、ようやくその意味が明らかになる。

文章を少しずつ解読していこう。まず、二線分ΑとΒΓがある。

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そしてΒΓを任意個の部分に分ける。ここでは、二点Δ、Εにおいて分けよう。

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このとき、二線分Α、ΒΓに囲まれた矩形は、分けられていない線分(Α)と分けられた部分の各々(ΒΔ、ΔΕ、ΕΓ)とに囲まれた矩形の和に等しいと主張している。

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図を描いてしまえば、簡単に理解できる話である。命題では線分等に固有の名称を付けないため、わけがわからなくなっているのだ。

直感的には当然の命題である。線分Αと分けられた部分とに囲まれた矩形は、併せればΑとΒΓに囲まれた矩形になるはずである。

では証明しよう。証明のためには、まずこの図を描かなくてはならない。

まず点ΒからΒΓに直角にΒΖを引き*1、ΒΗをΑに等しくする*2

f:id:kigurox:20180303012106p:plain(ΒΖ⊥ΒΓ、ΒΗ=Α)

そしてΗを通りΒΓに平行な線分を引き*3、それと三点Δ、Ε、Γを通りΒΗに平行な線分との交点をそれぞれΚ、Λ、Θとする*4

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(ΒΓ // ΗΘ、ΒΗ // ΔΚ // ΕΛ // ΓΘ)

すると、図より、矩形ΒΘは三つの矩形ΒΚ、ΔΛ、ΕΘの和に等しい。

そして矩形ΒΘは、矩形Α、ΒΓである。なぜなら、ΒΘはΒΗ、ΒΓに囲まれているが、ΒΗはΑに等しいからだ。

また、矩形ΒΚは矩形Α、ΒΔである。なぜなら、ΒΗ、ΒΔに囲まれ、ΒΗはΑに等しいからだ。

さらに、矩形ΔΛは矩形Α、ΔΕである。なぜなら、ΔΚ、ΔΕに囲まれ、ΔΚはΒΗに等しく*5、ΒΗはΑに等しいからだ。

同様に、矩形ΕΘは矩形Α、ΕΓである。なぜなら、ΕΛ、ΕΓに囲まれ、ΕΛはΒΗに等しく*6、ΒΗはΑに等しいからだ。

ゆえに矩形Α、ΒΓは、矩形Α、ΒΔ、矩形Α、ΔΕ、矩形Α、ΕΓの和に等しい。

よってもし二線分があり、その一方が任意個の部分に分けられるならば、二線分に囲まれた矩形は、分けられていない線分と分けられた部分の各々とに囲まれた矩形の和に等しい。これが証明すべきことであった。

 

矩形ΒΘが矩形ΒΚ、ΔΛ、ΕΘの和に等しいので、これらがそれぞれ、Αと他の線分に囲まれる矩形であることを示す、という証明である。

証明中には、角ΔΒΖが直角なら、登場するすべての四角形が矩形になることが、証明抜きに利用されている。ただしこのことは、平行四辺形の定義(対辺が平行な四辺形)や第1巻の命題34(平行四辺形の対角は等しい)などから証明できる。

 

第1巻で線分を移すときは、いちいち命題2や命題3を使っていた。それは第2巻になっても変わらない。二線分に囲まれた矩形を考えるためには、線分の一方を、他方に垂直に交わるように移動させねばならないのだ。

また証明を読んですぐわかるように、第2巻の命題の証明にも、第1巻の命題はわんさか使われる。逆に、第2巻の命題は、第2巻の証明にはあまり使われない。 

 

この証明では、線分ΒΓを三つの部分に分割した。しかし命題の本文では、「任意個の部分に分けられるならば」とある。従って、本来なら三つではなく、任意個に分割しても命題が成立することを証明しなくてはいけない。しかしユークリッドは、そのような証明を行わない。これは、やらなかったというより、できなかったのだと考えられている。

例えば現代であれば、分割する点をΔ、Εではなく、Δ_1、Δ_2、Δ_3、…、Δ_nなどとして、n+1分割した場合を証明するだろう。しかしユークリッドの時代には、このように「数をnとおく」という発想がなかった。そこでユークリッドは、n=2, 3のときなどで証明し、一般の場合にも成り立つことを推測するしかなかったのだ。

このような方法を「準一般的」と呼ぶ。今回の証明は、典型的な準一般的証明である。

 


 

この命題は、しばしば「第1巻命題47(ピタゴラスの定理)で、既に登場している」と指摘される。

stoixeia.hatenablog.com

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ピタゴラスの定理の証明では、上図の正方形ΒΕが、矩形ΒΛと矩形ΓΛの和に等しいことを利用する。確かにこれは、今回の命題に似ている。

しかし、この指摘への反論も存在する。ピタゴラスの定理の証明では、まず正方形があり、それを線分ΑΛで分割している。一方今回の命題では、先に線分ΒΓを分割し、その上に矩形を描いている。作図の順番が違うので、違う命題だと反論できるのだ。

そもそも今回の証明でも、矩形ΒΘが、三つの矩形ΒΚ、ΔΛ、ΕΘの和に等しいことは、証明抜きで使われている。ピタゴラスの定理の証明に利用されているのは、こちらの方だと考えるべきだろう。

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(ここから書いてあることは、半分くらい根拠のない私の妄想である。話半分で読んでほしい)

今回の命題は、「幾何学代数学」の立場で見ると、分配法則を表している。Αをa、ΒΔをb、ΔΕをc、ΕΓをdとすると、
 a(b+c+d)=ab+ac+ad
となっているからだ。

だが前回宣言した通り、当ブログは幾何学代数学の立場を取っていないので、この解釈は採用しない。今回の命題は、純粋に、二線分に囲まれる矩形に関する命題だと主張する。

そもそも代数学(文字式)というのは、単に数を文字に置き換えただけのものではない。数を文字で置くことで、数をその文脈から切り離し、記号操作で扱えるようにすることに、意義があるのだ。

もし代数学を幾何的に表現しようとするならば、線分Αは、その文脈(描かれている場所)から切り離され、自由に移動できるようになっていなければならない。しかしユークリッドは、線分Αはあくまで線分Αであり、それに等しい線分ΒΗをわざわざ作図している。これは、全くもって代数学的な立場ではない。

 

それに、「ΑとΒΓに囲まれる矩形=ΑとΒΓの積」だと思うのも、現代の我々が代数学に慣れ過ぎているからだと言える。『原論』におけるかけ算の定義は第7巻に登場するが、そこには次のようにある。

第7巻定義16

数が数にかけると言われるのは、先の数の中にある単位の数と同じ回数だけかけられる数が加えあわされて、何らかの数が生ずるときである。

例えば3×4で考えてみよう。先の数(3)の中には、単位(1)が三個ある。これと同じ回数だけ、かけられる数(4)を加え合わせると、数(12)になる。これがかけ算の定義だ。

これに合わせて考えると、線分と線分のかけ算とは、線分の中の単位長さの数と同じ回数だけ、あとの線分を加え合わせ、何らかの線分が生じたときのことを言うはずだ。線分と線分の積は、面ではなく線分なのである。
(繰り返すが、ここの文章はあまり根拠なく書いている)

 

前回の記事でも述べた通り、第2巻はこのように、線分を切ったり延ばしたりしたとき、その上にできる矩形について論じる。命題10まで、ずっとこの調子だ。

 

 

*1:命題1-11「与えられた直線にその上の与えられた点から直角に直線を引くこと」

*2:命題1-3「二つの不等な線分が与えられたとき、大きいものから小さいものに等しい線分を切り取ること」

*3:命題1-31「与えられた点を通り、与えられた直線に平行線を引くこと」

*4:命題1-31「与えられた点を通り、与えられた直線に平行線を引くこと」

*5:命題1-34「平行四辺形において、対辺および対角は互いに等しく、対角線はこれを二等分する」

*6:命題1-34「平行四辺形において、対辺および対角は互いに等しく、対角線はこれを二等分する」