オペレヴィ・ヴィクセ

ユークリッドの『原論』を少しずつ読んでいくブログです。タイトルは「Q.E.D.」の元になったギリシャ語の「όπερ έδει δείξαι.」。

第1巻命題6 二角の等しい三角形は二等辺三角形

もし三角形の二角が互いに等しければ、等しい角に対する辺も互いに等しいであろう。 

 

前回は二等辺三角形の底角が等しいことを示した。

stoixeia.hatenablog.com

今回はその逆である。前回ほどややこしくないが、ちょっと戸惑う証明かもしれない。私は理解するのに少し時間がかかった。

三角形ΑΒΓがあり、角ΑΒΓが角ΑΓΒに等しいとする。このとき、辺ΑΓ=辺ΑΒとなることを示す。

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証明には背理法を使う*1。もし辺ΑΒとΑΓが等しくないとすれば、どちらかは大きい(これは公理にはないが、暗黙の了解として使っている)。ΑΒを大きいとして、ΑΒからΑΓに等しい線分ΔΒを切り取り*2、ΔΓを結ぶ*3

f:id:kigurox:20171101155114p:plain(ΑΓ=ΔΒ)

ここで、二つの三角形ΑΓΒとΔΒΓに注目しよう。

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するとこれらは、ΑΓがΔΒに等しく、ΒΓが共通で、さらに角ΑΓΒと角ΔΒΓが等しい。したがって二辺とその間の角が等しいので、底辺ΑΒは底辺ΔΓに等しく、三角形ΑΓΒは三角形ΔΒΓに等しい*4

すると、小さいものが大きいものに等しくなってしまう(※)。これは不合理である。それゆえΑΒはΑΓに不等ではない。ゆえに等しい。

よってもし三角形の二角が互いに等しければ、等しい角に対する辺も互いに等しいであろう。これが証明すべきことであった。

 

私がこれの理解に苦労した理由は、(※)印の部分だ。この部分は参考文献の文章*5でも主語が曖昧で、何が小さくて何が大きいのかわからなかったのだ。少なくとも、次の三通りの解釈が可能なはずだ(図は再掲)。

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ひとつ。「三角形ΔΒΓは三角形ΑΓΒより小さい」という解釈。
点Δが線分ΑΒ上にあるのだから、三角形ΔΒΓは三角形ΑΓΒの一部だろう。「全体は部分より大きい」という公理8から、「部分(ΔΒΓ)と全体(ΑΒΓ)が等しくなるので不合理」という意味だと解釈できる。

ふたつ。「底辺ΔΓは底辺ΑΒより小さい」という解釈。
直前の文章にこの底辺への言及があるので、始めはこのことを言っているのかと思ってしまった。だが、パッと見でこの二つのどちらが大きいか、わかるだろうか? 少なくとも私にはわからない。というか、条件が足りなくて大きいとも小さいとも言えないはずである。

そして三つ。「角ΔΓΒは角ΑΒΓより小さい」という解釈。
角ΔΓΒは明らかに角ΑΓΒより小さいが、角ΑΓΒ=角ΑΒΓなのだから、角ΔΓΒは角ΑΒΓより小さくないといけない。しかしこの二つが等しいことになってしまうので不合理である、という解釈だ。だが直前までこの角への言及が無いのに、突然これを持ち出すのは不自然であろう。

というわけで、たぶん一つ目の解釈が妥当なのだが、私はこの解釈に至るまでに時間を要したのだった。皆さんは瞬時にご理解頂けただろうか。

 

ところで、「ある三角形が別の三角形より小さい」という表現は、数学的にアリなのだろうか? 相似形ならこういう言い方もするだろうし、面積を比較して言うこともあるだろう。

しかしここで言及している三角形は相似ではないし、面積を比較しているわけでもない。日常的な用語として、見た目のサイズが違う三角形を「大きい/小さい」と呼ぶことはあるから、ここでの「小さい」は日常的な意味の言葉なのかもしれない。

 

*1:命題そのものの証明に背理法を使うのは、これが初めてだ。論証の途中で背理法を使うことは、既に命題1-4であった。

*2:命題3「二つの不等な線分が与えられたとき、大きいものから小さいものに等しい線分を切り取ること」

*3:公準1「任意の点から任意の点へ直線を引くこと」

*4:命題4「もし二つの三角形が二辺が二辺にそれぞれ等しく、その等しい二辺に挟まれる角が等しいならば、底辺は底辺に等しく、三角形は三角形に等しく、残りの二角は残りの二角に、すなわち等しい辺が対する角はそれぞれ等しいであろう」

*5:「したがって底辺ΔΓは底辺ΑΒに等しく、三角形ΔΒΓは三角形ΑΓΒに等しく、小さいものが大きいものに等しくなるであろう」